月刊『部落解放』5月(No.581)
本の紹介『夢・葬送/浪速の唄う巨人・パギやんSong Book』
【本の紹介】
『夢・葬送−−浪花の唄う巨人・パギやん Song Book』
趙 博 (チョウ・パギ) 著/太田順一 写真
<評者> 柳原一徳(みずのわ出版代表)
大阪を拠点に活動する在日二世のミュージシャン、パギやんこと趙博による「生誕50年」記念出版。26曲の譜面を「喜・怒・哀・楽」四章に分け、太田順一撮り下ろし写真、趙博書き下ろしエッセイと、歌詞一覧を付した。
実は、総集編CD「趙博ベスト30」(2006.12)との同時発売を目指したのだが、校正の度にゲラを真っ赤にせずにはおれない著者の凝り性と担当編集者たる私の急病による入院もあって、今年二月に刊行がずれ込んだ。入院する、でもゲラは病院から送る旨伝えたら「死んだらアカンでえ」というメエルが返ってきた。そうだ。「歩いてきた道に花は咲かないかもしれない/だけど私たちが枯れるわけにはいかない」(趙博詞・曲「光のエチューード」より)。一寸くらいの刊行遅れが何だってんだ。
人呼んで「浪花の唄う巨人」。体重百キロの巨体に力感あふれる歌、そしてネット右翼どもに忌み嫌われる"過激"な発言の数々、そこからは、"濃い"イメージがついつい先走ってしまいがちだ。が、実際に相対する趙博は物静かな、実に繊細な男である。でも、それにダマされてはいけない。情況に対する沸々とした怒りが、その立ち居振る舞いと、静かな物云いの中に込められているのを感じる。内に深くマグマをたたえた入なんだと、私は思う。
たとえば、歌(唄)の「位相」をめぐって趙博は、まえがきでこう書いている。
−−"Because"と"Before"は、「歌(唄)」の位相にも当てはまります。「歌う前にやることがあるだろう」「歌っているから繋がるんだ」「歌う前に考えろ」「歌うからこそ見えてくるんじゃないか」etc. etc. 歌うことを生業としながら、僕は時々、歌を拒否したくなる衝動に駆られます。(中略)一方、様々な現場で「なぜ歌わないのだ!」と怒りに燃える時もあります。(中略)「誰であろうと民衆の魂を真に演じようとするものは、多くの道を歩んでいかねばならない。…洗い物をする女性や、縄をない、溝を開き、鉱山へ下り、海に網を投げる男たちの仲問であるということなのである」(ビクトル・ハラ)。僕は、多くの道を歩みたいと思います。いっの日か、"Because"と"Before"を止揚する日を夢見て−−。
趙博のまなざしは、2001年9・11テロ以降の、事件が事件を隠蔽する、はたまた次の事件を養うために事件が起こっているような情況の中で、浮かれ、呆け、確実に部外者・傍観者の場を強制されている、自身をも含めての「私たち」の虚妄へと向けられる。
これら「事件」の根っこを探ると、1997年の神戸児童連続殺傷事件にぶち当たる、と趙博は記す。震災後の神戸で起きた猟奇事件という位相、そして加害者も被害者も子ども、しかも被害者は知的障害児だったという事実、その時の吐き捨てたい気持ちで作詞作曲したのが、本書の表題ともなった「夢・葬送」だという。もう一曲「合わせ鏡」は阪神淡路大震災のあと、立て続けに世を去った先輩と友を心に浮かべて作った。二曲とも鎮魂歌として未完成のままだと、趙博は吐露する。
思えば、阪神淡路大震災、オウム真理教事件、沖縄の米兵による少女暴行事件−−これらすべてが<戦後50年>の節目としての、1995年に起こった。あれからまる12年を経た今年、2007年は、仏教でいえば三三回忌の節目にあたる。この間の年月は一体何だったのか。何ひとつとして解決に向かってはいない、むしろ悪化の一途を辿っているではないか。
こともあろうに安倍首相は今年夏の参院選の争点に「改憲」を挙げた。彼がいうところの「美しい国」とはひとえに「戦争できる日本」であり、その地ならしとして教育基本法を改悪し防衛庁を防衛省に格上げし、挙げ句は憲法まで変えてしまおうという、まさしくA級戦犯岸信介の悲願にほかならない。それどころか、靖国賛美の夜郎自大はついに、1993年日本政府調査団の訪韓調査を受けての河野洋平官房長官(当時)談話で、国家の関与を認め謝罪したはずの日本軍慰安婦をも否定するに至った。歴史教科書から抹殺しただけでは飽き足らず…。
ちょっと待て。自国民の食糧すら自国で満足に生産できぬレベルにまで農山漁村を疲弊させた張本人は一体何処のどいつだ?自国の文化であるところの商業捕鯨がいまだ再開できぬ植民地的情況を見よ。この程度の輩が日本の権力中枢を握っているのだ。こんなヤツのお遊びに巻き込まれて殺されるのだけはまっぴら御免だ。
「9・11テロ以降、世界の流れがそのように再編成されていると感じるのは僕だけだろうか?歯がゆくて悔しくて、恐ろしくて、腹が立ってしかたがない!」という一文が、「哀」の章のエッセイ「路地裏から世界を覗けば、旅空に今日も雨」で三度繰り返される。
こんな時代にあって、歌舞音曲を以てして如何ほどのことがなしうるのか。趙博の自問自答−−それは読み手一人ひとりの自問自答へと連なっていくはずだ。そして、夢はひとまず葬送に付しておく。
本書は、かくして生まれた。 (文中敬称略)