ステージ4●2002年
新聞、雑誌などに掲載された趙博のエッセイ、インタビュー、紹介記事等の自選コレクション
読めばあなたも“パギやん通”に!


No.8●2002年下半期

NHKラジオ・テキスト『新 基礎英語2』 2003年1月号

《この技に習う》9  パンソリ(古典民謡) 趙 博

                          インタビュー/片野順子
                          撮影/伊藤善規
 朝鮮王朝時代には民衆文化と宮廷文化がはっきりと別れ、音楽のジャンルでも両者は大きく異なっていました。庶民は、生活や気持ちを歌にしたり踊りにしたりして伝承してきたんです。現在でも、人が集まると、歌ったり踊ったりする習慣があります。言いたくても言えないこと、悲しいことやうれしいことが、たくさんの民謡として歌い継がれてきたわけです。波乱の歴史の中で民謡が衰退した時期もありましたが、今また、復活の兆しを見せています。その背景には、韓国では音がたずさわる人が、ジャンルや有名無名に関わらず、とても尊敬されているということがあるでしょう。また、この民謡は海を越えて、日本で生活する韓国人・朝鮮人の間でも静かなブームになっています。
※インタビュー記事は P.64〜67 に続きます。皆さん、買って英語の勉強もしましょうね。

※巻頭カラーグラビア3ページで、しかも伊藤さんの見事な写真!  英語の勉強しなくても、パギやんファン必携のアイテムですぞ。たった \330。
なお、「新基礎英会話2」はラジオ第2放送 月〜土 午前 6:15 〜 6:30 再放送(同日) 14:30〜14:45/18:45〜19:00。



『月刊 オルタ』02年12月号 特集:拉致報道が煽る国家主義

趙博インタビュー記事 「ニッポンって何やねん?――あなたはチョゴリを着て歩けるか


●言葉にできないはがゆさ
―― 北朝鮮による拉致の事実を聞いたとき、どんなふうに思いましたか?
  「まんまとやられた、しまった」と思ったね。それが僕の第一印象。ジレンマというかやるせなさというか、たぶん日本人の怒りとは遠うとは思う。本来は僕らの手で暴くべきだったのに、あんな奴らに暴かれてしまったと。前から北朝鮮政権のいかがわしさは、在日朝鮮人はみんな知っていたんです。例えば多くの在日には、北朝鮮に帰国した親戚や知り合いがいます。でもその人たちがその後どうなったのか、まったくわからない。わからないけど、人質にとられたようにして、「とにかく金を送ってくれ」「物を送ってくれ」と言われて、送っていたわけでしょう。「何かおかしい」って感じていたわけですよ。だから今回のことについても、そういうはがゆさっていうのが根底にある。
  よく日本人が「ああ、北朝鮮怖い」とか「何でひどいことするの」と言ってるけど、そういうことさえ言えない。それはもう我々が“やられて”しまっているということです。つまり本当に自分の感情を素直に言えないところに追い込まれてしまっているという。それがすごくやるせないし、どうしていいかわからない。素直に、「拉致被害者が気の毒だ」とか「何とかしたい」という回路になれない。ショックを受けることすらスポイルされちやったというかね。ああ言えばこう返される、こう言えぱたぶんこう言われるだろうっていうのが全部見えてしまうということもある。
―― この問、在日朝鮮人への嫌がらせも相次いでいます。メデメアもその方向に人ぴとを煽っている。
  なんでこう日本人は被害者にここまで同一化してしまうんだろう。少年事件でも何でも、観ている側はまるで自分が被害に遭ったような気になって、「怖い、国は何をしているんだ、警察は何をしているんだ」となる。そしてマスコミもそれを煽る。みんな小権力者になってしまっていると、ものすごく感じる。
  拉致議連の議員たちは、我が世の春と言わんばかりに、「それみたことか、俺たちの方が正しかった。北朝鮮は悪い。総連も悪い」と言ってるけど、僕に言わせると「お前らに言われる筋合いないんじゃ、アホ!」って思う。拉致の被害者と、僕らが普段一緒に日韓間題や環境間題を考えたりしている人たち、つまり日本を右傾化しないでおこうという人たちがつながっていれぱ、もっと違った展開があったわけですよ。
  例えば、横田めぐみさんのお父さん、お母さんはもっと言いたいことがいっぱいあると思う。でも、あの人たちは「被害者の家族」という類型にしっかりとはめこまれていて、自分の本当の心情みたいなものを語れないんじゃないだろうか。「うちの娘のことは絶対に許せません。かと言って今の小泉政権がやろうとしている有事法制は絶対に反対です」、つまり自分の娘が救われることと、日本が右傾化することは違うということくらい言いたいと思うし、言ってほしいですよね。
  いい加滅、「政治的に利用するのはやめよう」と、なぜ誰も言えないのか。ようするに、ゼネコンが0DAを使って北朝鮮で工事したいだけなんじゃないのかと。日本政府は「子どもを返せ」と息巻いて言っているけど、俺が家族だったら来ないよ。来てどうするの? 24年も北朝鮮で暮らしてて、いきなり日本政府が行って、「お前は日本人だ。親が日本人だからお前も日本人だ」と言うの? 血統主義もはなはだしい。いくら本人が決めると言っても、今はガンガンにオルグしているわけでしょう。それじゃあ結局は誰も救済されない。

●戦後の過ちを繰り返すな
  それから総連に対して僕が思うのは、もう北朝鮮支持はやめるべきで、本来の在日朝鮮人の運動に戻った方がいい。五五年の総連結成は僕から言わせれば誤りですよ。それまで広範に結集していた人たちが難れていって、総連はどんどん先鋭化していって、とてもピュアな形で革命ということを言ってきた。それで実際に何をやってきたかというと、人権運動には徹底的に反対し、「指紋押捺拒否なんてやるな。我々は海外公民なんだ」「日本で権利を獲得することは同化につながる」と言ってきたわけですよ。でも、そう言いながら幹部は儲けてきたんですよ。
 でもね、総連の活動をしてきた個々人は、地域で新間を配ったり、相談を受けたり、学校のこと一生懸命をやってきたんです。その人たちは今一番疲弊していますよ。無給で一生懸命やってきたのに、編されたと思っている。その人たちは沈黙しているか、総連を抜けるかのどちらかでしょう。「今こそ改革のために立ちあがるんだ!」という元気は、正直言ってない。
  今回のことは日本の敗戦のときと同じだと思うんです。僕は北朝鮮という国家を背負うつもりはまったくないけど、今回、加害者としてものを見るということを経検した。今までは日本人を加害者と言ってきたけど、今度は自分が加害者であるという視点を待たなくてはいけなくなった。そこから、「ひょっとして、戦後の日本人はこんな感じだったのかな」と。あのとき日本人は、天皇の人間宣言を間いたときに、「お前が悪かったんだ!」と言うべきだったんですよ。それと同じ轍を、朝鮮人は踏まないようにしないといけない。だから本当にしんどいけど、金正日に「お前が悪いんや!」と言わないといけない。だから総連の次のスローガンも「打倒金正日政権」にして、徹底的に北朝鮮を改革する。

●謝るだけでは混じり合えない
―― 1994年、「北朝鮮の核疑惑」報道によって、今回と同じように在日への嫌がらせや差別が起こったとき、趙さんは、他のミュージシャンに呼ぴかけて、「セレプレーション・コンサート」を企画しましたよね。以来、このイベントは毎年行なわれています。今年のコンサートで一番訴えたいことはどんなことですか?
  8年前は、「チマ・チョゴリを切り裂いた心は日本人の心をも切り裂いた」というメッセージと、常に多数者に踏み躙られることを余儀なくされる少数者たちが、共に生きる社会をつくろうというコンセプトだったんです。
  拉致の問題とからめていうと、僕は「日本だって植民地時代に朝鮮人を拉致したじゃないか」という言い方にはあまり賛成しない。それは言い訳というか、また逆に向こうの論埋に乗ってしまうような気がする。在日朝鮮人が今置かれている間題と、北朝鮮の間題は間連はもちろんあるんだけど、それは歴史的なつながりという意味だけでしょう。とにかく、日朝あるいは日韓で何か起こると、いつも僕たちが叩かれるという、その構図は何とか断ち切ってほしい。それはやはり日本社会、日本人の問題だよね。そう言ってくれる日本人が出てきてほしいね。8年前も、日本人はみんな「申し訳ない。同じ日本人として許せない」と言ってくれたけど、それは何か違うと思うんだよね。「じやあ、お前はチョゴリ着て歩けるのか?」という疑間がいつも僕にはあった。最後はどうしても交じり合えないというか、どうにもできなかった。
  一方、ここ10年で、日本の人権状況はどんどん後退していっているでしょう。一般の人の意識の中で、「部落のことも朝鮮人のこともいいや」というふうに。
―― どうなったら拉致問題が解決したことになるのか、また日朝の国交正常化への動きが今後どうなるのかという点についてはどうてすか?
  国の問題は国が決めればいいわけだけど、とにかく北朝鮮で金正日でない新たな政権をつくり、過去のことを全部清算してからちゃんと話をすること。もう一つは、日本における在日朝鮮人の処遇ということについて、抜本的に解決してほしい。いま帰化条項を軽くするとか言っているようだけど、日本国家はこれまで何の清算もせずに、ずっと我々をコケにしてきて、ちょこっと改善したって、そりやペテンだろうと。在日朝鮮人の悪いところは、国家に勝手な願望を拝ってやってきて、だまされてしまったことですよ。もういい加滅「祖国」という言葉を使うなと、僕は前から言っていたんです。いかがわしいじゃない。でもいま僕は、逆に日本人にもそれを間いたい。あなたはここが祖国なの? 日本人でいいの?って。
(2002年11月9日談 聞き手・竹尾茂樹/本誌編集員)

※『月刊オルタ』は\600。
  本号では辛 淑玉の対談記事他、盛りだくさんです。
  皆さん、買って読んでくださいね。PARCホームページ



『音の力 ◎ ストリートをとりもどせ』 

          2002年8月20日 発行
         編 者:DeMusik Inter.
         発 行:インパクト出版会
         価 格:\2,500

★みなさん、この本は買って読みましょう。 「音楽インテリジェンスの粋」が詰まってます。(paggie)

【インタビュー】 渚ようこ、ダグマー・クラウゼ、他
【執筆者】大熊ワタル、林幸治郎、本山謙二、青木深、渋谷望、ケン・カワシマ 他多数。
【座談会】 路上の音楽(中川敬・大熊ワタル・趙 博・本山謙二・粟谷佳司・ぶうち古谷・東琢磨)から、趙 博の発言の一部。

●趙 「なによりも、日本人と日本人性に解体をやっていきたいね。僕はいつもあえて、「日本人の皆様、これが詩吟ですよ」とか「これを浪曲と言います」とか一言うてから演るんやけど、こっちから「くすぐっていきたい」というのがまず一つ。路上にひきつけて言えば、路上はひとつの解放区たりうる可能性を遺しておいてほしい。いや、それぞれがそういうものとして、日々自覚的に歩くべきではないか。路上の可能性は、やはり異化という言葉に尽きる。佇むにしても、ヘたって飯食うとる奴ら見ると、蹴りたなんねん……あれは閉ざしているわけでしょう。もっとかっこよく、路上を「開くための」ヘたり方とか開発せえよな(笑)。ジベタリアンも、そのくらいのドタマ便え、もうちょっとパロディ化してみろ、と言いたい。それこそ、全存在かけてジベタリアンになるとか、世界に向かって「俺はここで、ケツから根っこ生やしたるう」ぐらいの叫びがほしいね。そういうイチビリがもっと出てきたら面自いなあと思う。それから、ストリートライヴは……、もうええわ(笑)、「ゆず」で終わってるはずや。芸人がもっともっと、路上を芸で占拠すべきやね。


中日新聞02年8月3日夕刊

故マルセ太郎「スクリーンのない映画館」 芸を引き継ぎ「歌うキネマ」
フォーク歌手 趙博が意気込み / まず『ホタル』など4作



【リード】 昨年一月に亡くなったマルセ太郎の持ち芸だった「スクリーンのない映画館」。身ぶり手ぶりを交え、一つの映画を語り尽くす芸を、晩年のマルセと親交があった大阪市生野区のフォークシンガー趙博が「歌うキネマ」として、引き継ごうとしている。高倉健主演の映画「ホタル」で、第一歩を踏み出した趙が、先達への思いとこれからを語った。(中山敬三)
【本文】 二人は一九九ハ年、阪神大震災で被災した障害者作業所を再建しようとする市民運動の会合で知り合った。「いろいろ話してみたら、マルセさんの弟さんがうちの近くに住んでいて、しかも遠い親せきになるということが分かったんです。(マルセが作・演出を手掛けた)「イカイノ物語」で音楽を担当した九八年以後は、しょっちゅう会うてましたね」
  「同じ話を何回も言わはるんですよ。『人問観察をちゃんとすれば笑いになる』っていうのが持論で、絶対笑わん人でした。一回だけ、ある人に「今日の芝居は襟が立ってましたね』って褒められたとき『ニター』って笑ったのを見たのが最初で最後」と、マルセの思い出を語る。聞き役に徹するうちに、趙はマルセのほとんどのネタを間近で見ることができたという。
  「マルセさんが(『スクリーンのない映画館』を)やるのを見て、ライブの語りの参考にさせてもろてたんですけど、まさか自分がやるとは思てなかった。でも、亡くなって非常に寂しくてね。『ホタル』見たときに、これはできそうやなと思たんですよ、無謀にも」
  元特攻隊員役の高倉健とその妻役の田中裕子。ステージの趙は、二人のせりふを鹿児島弁のアクセントまで忠実に再現。特に健さんのせりふは、目をつぶって聞いていると、あの男前の顔が浮かんでくるほど、よく似ている。また、井佐川比佐志、奈良岡朋子ら脇役の描写、説明も的確で、映画に対する知識の深さを感じさせる。朝鮮人の上宮が部下たちに見送られる回想シーンは、特に語りに熱が入る。そして、夫妻が韓国へ渡って、上官の親せきに遺品を手渡そうとする場面は、歌手趙博の本領発揮。ギターを手に、スクリーンの健さんよりはるかにうまいアリランを聴かせる。ラストは、映画のせりふにはない、趙自身の思いのこもった言葉で締めた。
  「『ホタル』は感動したんですけど、物足りなかったんですわ。朝鮮人の特攻隊員を演じた役者がど下手やったし、もっと言いたかったことがあったんじゃないかと思ったんです」と、在日二世の実感。「実際やってみて、何でマルセさんが映画を語ろうとしたか分かるような気がした。ものすごく感情移入しやすいんですよ。おじいちゃんが昔の出来事を孫に語るような庶民的な面もあり、自分の主観をどんどん入れていける深みもあることが分かりました」と、語り芸の奥深さにあらためて感じ入る。
  今のところネタは「ホタル」のほかに、スパイク・リー監督の「マルコムX」、渥美清主演のテレビドラマ「泣いてたまるか」、パンソリ(太鼓の伴奏による語り物)の名手が登場する韓国映画「風の丘を越えて―西便制」。
  「語りやすさ、歌いやすさを考えた時、すっとこの四本が浮かんできました。『マルコムX』では、もっとたくさんブルースを歌いたいし、『泣いてたまるか』は、マルセさんが『殺陣師段平物語』でやったように、その時代を語りたい」と、この四作に磨きをかける意気込み。「いつか松竹新喜劇をこの形式でやってみたい」と、ささやくように夢を語った。
  大阪市天王寺区の茶臼山舞台で、二十一日に「泣いてたまるか」、十月十六日に「風の丘―」、十二月九日は、名古屋の七ツ寺共同スタジオでライブと「マルコムX」を上演する。また、十月十二日に岐阜県中津川市で開かれるシネマジャンボリーで「ホタル」公演を行う。問い合わせは電06(6716)5020。



No.7●2002年上半期

「月刊 社会運動」267(2002年6月15日) 

「不急、不休、不求」で唄う ―国家と資本に対抗する「芸ネット」の夢   趙 博




「社会運動 vol.267」表紙

……………………………………………………

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■自己紹介
  「本業はどちらですか?」と訊かれることが多い。「どちらもです」と答えると、「よくやりくりができますねぇ」と来る…私は、予備校(河合塾・英語科)講師であり、歌手である。世間一般では理解しがたいらしい。
  「日本に来られて長いのですか?」と訊かれることが多い。「そうですね、祖父の代からですから、かれこれ80年になりますね」と答えると、「どおりで、日本語がお上手だ」とか「韓国語は喋れますか?」と来る…俺は、大阪生まれで日本語のネイティブ・スピーカーぢゃ。日・韓・英の3ヶ国語はお前より上手いワイ!と怒鳴りたくなる。世間一般では理解しがたいらしい。
  「立派な体格ですね」と言われることが多い。「そうですね、ずっと柔道をやってまして、講道館二段ですから」と言うと、「ご健康でなにより、羨ましいです」と来る…俺は、子供の頃結核にかかって難儀したし、右目は失明しているので一応「障害者」のハシクレである。世間一般には理解しがたいらしい。
  さて、今書いたようなことが日々縷々あって、そして様々な事情や時代を経て、この頃私は、「浪花の唄う巨人・パギやん」と自称している。マスメディアに紹介されるときは「在日韓国人シンガー・ソングライター」だの「歌う予備校講師」だのと、担当記者の思い入れや「切り口の面白さ」で冠をつけれることが多いのだが、本人は、あまり面白くない。要するに、「ワタシャ、世間ではフツーとちゃう」んや…その自覚があるから「浪花の唄う巨人・パギやん」を使う。「唄う巨人」の異名は、なかなか心地よいものだ。

■私の音楽事情
  この10年間で、CDアルバム5枚とシングルCDを1枚リリースした(*1)。いわゆる「インディーズ・レーベル」での自主制作だ。私の場合、一作品あたり2、3年かけて約2〜3,000枚売れる。10年前に出したファーストアルバムは、かれこれ4,000枚ほどになるし、昨年10月に出した5枚目は、相乗作用の効果が出てきたのか、半年で1,000枚以上出た。通信販売やライヴ会場での「手売り」が主で、統計的には6タイトルで年平均1,000〜1,200枚程度だ。レコード店に置いてもらっても手数料がかかるだけで、まったく割に合わない。一時期「メジャーから出したい」という希望を抱いて画策したこともあったが、今はまったくその気はない。つまり「無理・無駄」だと判断したのだ。
  「無理」なのは、私の「歌が下手で、おおよそプロとはいいいがたい」からではない。私はプロである。それが証拠に、直接入場料をいただくライヴは年間30回を優に越えているし、主催者が私を「雇って」くれる(つまり固定ギャラをいただく)ライヴやコンサート、イベントも含めれば、80回は下らないだろう。多い時には10本以上という月や、2・3月、8月、12月など、「予備校の仕事が長期の休み」の時期には「全国ツアー」も組む。ライヴやコンサートに来てくれる方々や、CDを買ってくださるファンは、圧倒的にリピーターが多い。私の音楽活動は、このように「顔の見える関係」で成立している。実際、芸能プロダクションや「イベント会社」と称する女衒ドモから仕事の誘いが来ることもあるが(特にテレビや新聞に出た後はオファーが多いし、このごろHPも盛んにアクセスされているので…)、すべて無条件、かつ無下に断っている。理由は簡単だ――自分の表現や労働をピンハネされる覚えはないし、女衒の手を借りずとも、自作の曲を発信しつつ己が歌う場は全国各地で確保できるからだ。メジャーが私の音楽活動に入り込む隙間はないし、私が彼らを頼ることもない。
  「無駄」なのは、経済的に見ても私の音楽活動が再生産ラインにあるからだ。たとえば、一枚のCDアルバムを製作するのに300万円かかるとしよう(300万とは、かなり贅沢なんですよ、実は…)。1枚3,000円で販売すれば、1,000枚でペイできる勘定になるではないか。それ以上売れれば、全額を次の制作費に回せるし、別の企画も計画できる。はたまた、入場料1,500円で、100人のお客さんがライヴに来てくれたとしよう。15万円の収入である。たとえ1,000円× 50人でも、会場費など経費を抑えられれば、十分な報酬だ。これが3,000円× 1,000人ともなれば、どれだけ素晴らしいことが可能になるか、想像してみてほしい。
  事程左様に、十年という歳月が必要だったけれど、私は、自分のやりたいことをやりたいように、己がやるべきことを懸命・真摯に、素晴らしいミュージシャン仲間とファンの方々、そして親身になって「裏方」を担ってくれる人々に支えられて、やれている。「芸」に「充分」や「終着」はないので、日々の研鑽や成功と失敗、時にはスランプに思い悩むことはあっても、「自分の計画に則って自分独自の表現ができる」という至福は、「メジャー・デビュー」などという俗物には代え難いものである。
  私は飽くまで自由であり、自由でありつづけたいし、自由であらねばならない。何故ならば、私の音楽は根元的に「闘いの音楽」であるからだ。

■本邦「芸能」事情
  「メジャー批判」を前提に書きすぎたようだ。前後するが、メジャー・シーンなるものを私なりに描写しておこう。読者諸賢には、充分ご理解いただけるものと信じつつ――。
  芸能界という、そのままでは翻訳不可能なニホンゴがある。「芸能」とは、読んで字の如く、art, skill, dance, music, perfromance, entertainment などを総称する日本語だが、「芸能界」となるとthe world of show business[entertainment]の意味しかない。さらに、「芸能人」の定義はより困難だ。「芸能人」と芸人はイコールではないし、「才能」を意味するタレント(talent)が、いつの間にか「芸能人」の意味にもなってしまっている。才能(talent)もないのにタレント(芸能人)とはこれ如何に?――笑えない冗談だ。因みに、Tamori is a TV talent. という「英語」は完全に間違いで、Tamori is a TV performer[star]. が正しい。あえて言うならフランス語のartisteが「芸能人」に近かろう(ただしartisteは歌手・俳優・ダンサーの他に、理容師や料理人も意味する)。ともかく、この日本では、「芸能人とは芸能界で蠢く生き物のこと」だと、不十分な定義しかできない(だたし「裏方」は捨象しておく)。マスメディアや劇場、映画などで、彼・彼女らは、日々我と我が身を公衆に晒しつつ、それが「芸」であろうがなかろうが、とにかく何か「演[ヤ]る」。そして法外な出演料をもらい、一般人は享受できないようなブルジョア的生活を満喫する。大衆は芸能人である彼・彼女らの美貌・名声・冨に憧れ、資本と国家はその大衆社会的機能を有効に利用し、操作する。歌手であれ、俳優であれ、寄席芸人であれ、昨今は政治家や学者・弁護士、はたまた庶民の一員までもが「芸能人」として社会的に認知される。私の言うメジャー・シーンとは、芸能界で芸能人を蠢かせる、その仕掛けを画策する様々な組織・企業・機構・個人――その存在と所行の総体である。芸能人がよく口にする「うちの事務所」がその代表格であり、レコード会社や放送局も同格だ。メジャー・シーンを通じて、芸能人は「売れる」。兎にも角にも、売れなければならない。どう売るか・如何に売るか――メジャーは常に方策を練り、手練手管で仕掛けてゆく。莫大な宣伝費と可能な限りでのメディア・ミックスの成果として、日々「芸能人」は製造され、売れてゆく。そして、芸能人は己の社会的地位(status)を誇り、のし上がったのは自分の才能故だと、了解する。
  以上のように概観すれば、私は歌手であり芸人ではあるが「芸能界」に所属していないから芸能人では決してない。なにせ、売れてないのだから…。同時に、私はインディーズでもない。誤解して欲しくないが、実は「インディーズ・シーン」なるものの実体も「芸能界」なのである。正確には、インディーズとは「擬似的芸能界」「芸能界ごっこ」である、と言うべきだろう。わかりやすい例が、駅前などでギターらしきものを弾いているわ(ば)か者達だ。彼らこそはまさにインディーなのだが、別名「スカウトされたい症候群」とも謂い、「シャランQ」や「ゆず」「矢井田瞳」に、いつの日か変身することだけをひたすら夢見ている。「オッカケ」達も、メジャーになった彼・彼女らをシミュレートしつつ、夜ごと拍手を送る…そこは「仮想」と「ごっこ」が野合した身の毛もよだつ奈落であり、ヂベタリアン・茶髪・コギャルどもの集団的夜遊び広場と化す。ストリートから新たな文化が生まれるなんて暢気なことを言うのは、それこそプチブル的幻想だろう(*2)。インディーズとは「小児的不安(満)とプチブル的欲望の鬱憤発散装置」と言っても過言ではない。
  いまや、メジャーかマイナーかなどという「対立項」は表層的差異に過ぎず、後者は完全に前者の予備軍と化している。いや、文化的創造性や芸術的力量に欠けていることを自覚した瞬間、メジャーは積極的にマイナーを利用し、改変して自己の側に動員していく。話が詳細になるが、今のメジャーの実体は、実は「60年代若者文化と70年代カウンター・カルチャー」を呑み込んだ、左翼免疫態なのだ。かつて「テレビにはいっさい出ない」と闘った吉田拓郎、レコード大賞を拒否した井上陽水を引き合いに出すまでもない。全共闘運動、梅田や新宿のフォークゲリラ、中津川フォークジャンボリー、天王寺野外音楽堂の春一番コンサートなどの経験者と元・関係者、広義の「反戦フォーク」や「関西フォーク」等を形成した面々が、メジャー・シーンにどれほど多く存在することか! 彼らは今、かつて己が徹底的に敵対したはずの資本の側にいる。しかも、ある社団法人まで作って堂々と「業界」を形成している――これは、「芸能界」事情に通じた者にとっては、常識に属する事実である。60〜70年代にかけて「アングラ」と肯定的に受け入れられた文化的様相は跡形もなく崩壊し、その残党は「芸能界の輩[ヤカラ]」として生き残ったのだ。こういった経緯を人間の思想的レベルで検証した場合、日本語では「転向」といわないだろうか? 左翼免疫体としてのメジャーは虎視眈々とマイナーを狙い、インディーズはその狭間を積極的に右往左往するのである。

■カウンター・カルチャー
  「転向」が悪いと言ってるのではない。「転向の仕方」があまりにも「ゲーノーカイ」的で、私に理解する能力がないだけだ。要するに、メジャーやマイナーやインディーズなど、どうでもよろしい。私が照射したいのは、文化芸術創造における「耽美主義」と「政治主義」という古くて新しい問題で、実は、両者はメタルの表裏なのである。思考力と想像力に欠ける俗物が「美」という名目の元に、有閑階級に「芸」で媚びを売るのが耽美主義であり、「芸の無さ」を「社会性・歴史性」の名目で覆い隠した俗物が、「正義」という名目の元にある勢力や集団に擦り寄るのが政治主義だ。双方とも、私にとっては唾棄すべき敵であり、常に凌駕すべき"Check It Out"アイテムでもある。「耽美」も「政治」も容易に「銭儲け」になることは二言を要さない。昨今進行中の『日韓ワールドカップ』文化イベント特需を一瞥すればよかろう。「すわ、ここぞ!」とばかり、どれほどの輩が「友好」という名目の元に利権に群がったか! 沢 知恵や柳 美里に代表される「Japanese Korean 様」が、「耽美」と「政治」のベクトルを使い分けつつ、どれほど「儲けて」いることか。昔は「脱げ」ば話題になった。今は「Koreanだとカミングアウト」すればいい…「在日」は、もはや「売れる」実態(体)なのだ(和田アキ子、頑張れ!)。
  さて、私は自分の音楽を「闘いの音楽」と言ったが、その理由について次のような説明をしておきたい。「マイノリティが排除されるのは、しばしばマジョリティの確立した<人間>の基準外にあるとみなされるからである。その判断はしばしば幻想的である。私たちは神の死んだ世界にあっても、多くの幻想によって生きているからである。またその判断は、しばしば現実的な葛藤に対する忌避に根ざしている。マイノリティに対する様々なタイプの判断や知覚は、自己や自分の集団や、あるいは一般に「人間」の意識と相対的である。(中略)マイノリティは、人間がどんなふうに生命を迎え、生命を排除しているかという問いをもって生きざるをえない。それは政治の問いであり、創造とはなにかという問いであり、そしてカフカが予言したように「生死」にかかわる問い」(*3)である。私もハシクレとして、その「問い」を供出している。日々のライヴやCD製作、大小のメディアへの露出は、常に「問い」なのだ。「癒し」や「娯楽」ではなく、まず「問い」なのである。畢竟[ヒッキョウ]するに「闘い」だ。客と対峙する己と、二重三重に向かい合って、「問い」を表現する。「癒し」や「娯楽」は、そのアクチュアリティのなかからしか出てこない。そして、ライヴがライヴとして成立すれば、必ず「笑い」が起こる。なぜなら、「人間を典型的に表現できれば、自ら笑いは生まれる」(*4)のだから。
  人間を粗末に扱い、理性ではなく感情におもねて俗情と結託し、弱者をさげすみ強者に媚びる「芸」――マジョリティ文化の本質は「弱いものいぢめ」だ。ここに「芸能界」の嫌らしさがある。
 私は創造せねばならない。なぜなら、私は「世間では理解しがたい横断的マイノリティ」だからである。私は「在日」という類型は売らない。私は「障害」を商品化しない。私は「人間の典型を表現する芸」を売る。「典型とは、表し方が特殊であり、伝わるものに普遍性がある。誰でもやりそうな表現でいながら、普遍性のないのが類型である。」(*5)「類型」に対して「典型」を対峙せしめる――これがカウンターカルチャーだ。
  『明日のジョー』のクロス・カウンターぐらいには、成長したいなぁ…。

■現在進行中…
  「歌うキネマ」というシリーズを演っている。これは、故・マルセ太郎の至芸「スクリーンのない映画館」を継承したいが為の、私なりの試みだ。一本の映画を、一人で最初から最後まで語る――マルセ太郎は、パントマイムの素養に加えて寄席やキャバレーで数十年鍛え上げた実に様々な話芸を総合的に構築して、まさに「典型」を演じきった。『泥の河』『生きる』『息子』『ライムライト』など、得意ネタはどれも「映画を越えた」と評された。マルセが開拓した「映画再現芸」は一つのジャンルになりうる、と私は確信している。歌手である自分は、語りと身振りに「音楽」を取り入れて「歌うキネマ」と題した。
 第一作は、昨年封切られた「ホタル」。高倉健、田中裕子、奈良岡朋子らが織りなす「特攻隊」のドラマだ。朝鮮人特攻隊員がいたという事実、熊本の知覧という町、そして戦後55年間「重いものを引きずって寡黙に生きてきた」特攻隊の生き残り――死者と生者の対話であるこの映画は、まさに「人間の典型」たりうると、私は判断した。映画が素晴らしかったから、ではない。もちろん、素晴らしい映画なのだが、「私が見た<ホタル>」を演じ、表現したかったのだ。つまり、私の「主観=問い」である。テーマ音楽をギターで弾き、劇中に出てくる「アリラン」を実際の役者より上手に歌い、韓国に渡る場面では韓国語で台詞を言う。約25のシークエンスで登場人物は14人。これを、落語のように、講談のように、浪曲のように、時には一人芝居の手法で、時々脱線もしながら演じると、自分でも不思議なくらい、映画がよくわかる。これは、「反芻」の面白さとその意外な作用なのだろう。因みに、マルセ太郎が『息子』を演ったとき山田洋二監督が観に来ていて、「アノ場面はそういう意味だったんですねぇ。」と、制作者本人が新たな発見をして感心した、という笑い話が残っている。
  「ホタル」を演ろうと思った理由は、もう一つある。インターネット上のあるサイトで、映画評を自由に書き込むHPがあった。「ホタル」を観て「あんな卑屈な日本人を描くなんて気分が悪い」「なんで朝日新聞の記者が実社名ででてくるんだ」「特攻隊はもっと勇ましかった」と<右>からの批判が多くあった。それと同数ほど「国家の戦争責任を曖昧にしている」「朝鮮人特攻隊の実相が伝わらない」「従軍慰安婦問題など、焦眉の課題をぼかすものだ」など<左>からの批判もあった。この「類型」にしばられた馬鹿どもが…私は決意した。「おれが、映画の見方、教えたる!」…。
  「歌うキネマ」は、このあと『マルコムX』『泣いてたまるか』『風の丘を越えて(西便制)』と続く。マルコムXの、あの演説!渥美清の見事なまでの「庶民」、パンソリに秘められた「恨の芸術」――みな、自分一人で演じるのだ!なんという至福であろう。
  喜んでばかりもいられない。秋には今年のCDアルバムも発表する(乞・ご期待)。

■仮称「芸ネット」
  斯く論じてきたが、兎にも角にも芸人は喰わねばならない。いくらメジャー批判をしても、いくら「ああだ・こうだ」とイキがっても、「食えなきゃ」表現もヘッタクレもありゃしない。まさに、我々は「衣食足りて礼節を知る河原乞食」だ。
  一方、私のみならず「独立独歩」で日本全国を旅して歩いている「誇り高き芸人」は多数存在する。80年代「メジャーシーン」で鳴らしたパンクバンド<スターリン>のリーダーだった遠藤ミチロウが『音泉MAP 150』という本を出しているぐらいで、日本全国に「独立系ライヴスポット」も多数ある。お寺や教会も、「おもろい坊主」がいれば、たちまちライヴ・ハウスと化す(因みに昨年、私は「寺」「教会」でのライヴを9ヶ所でやった)。まだ、捨てたもんじゃない。
  そして、私は今、漠然とこんなことを考えている。全国で、最低100人入る小屋(劇場orライヴハウス)が100ヶ所の「ネットワーク」を形成できないか? そのネットワークの中で、芸人は月最低10回ライヴをして1回5万円を目安にギャラとして保証する。もちろん、たくさん客が来れば上乗せする。50万円あれば、なんとか家族も養えるだろうし、あと20日間は別の仕事や「芸を磨く」日にもなる。小屋は、月20日ほど稼働してなんとか採算ベースに持っていく。100人の客が全国100ヶ所で観れば、1万人だ。インターネットで「小屋と芸人」の情報を繋いで、つねに「全国で動いている」様子を客に伝える。「芸人と小屋と客」この協同組合がほしい!東京ドームや武道館を一杯にしなくても、芸人は1万人の人々と出会える。客は、良質の芸を安い値段で観られる。小屋主も、プロデュースや批評の要人として豊になっていく。
  国家や資本、その意を呈した「芸能界」などというマジョリティ側の人殺しシステムではなく、「河原乞食が食える」本来のシステムを作って欲しい!そのなかから生まれてきた「芸」は、かの「問い」への、豊かな答えになるはずだ。


(注)
*1 "Rapture & Rage" (1992年)、『爛漫』(1995年)、『ソリマダン』『橋』(1999年)、『ガーリックちんどん』(2000年)、『光のエチュード』(2001年)
*2  『音の力<路上>編』('02.5 発売予定 / インパクト出版会)参照のこと。
*3  鵜飼 哲「なぜマイノリティなのか」 (『マイノリティは創造する』セリカ書房 '01 所収 / P.11 〜 12)
*4 *5  写真集『芸人 マルセ太郎』(角田 武、明石書店 '01 / P.29)



「胡散無産」(02年5月) 

おもろいで、茶臼山舞台 ―茶臼山舞台の家主と店子のでっかい夢

家主=桂あやめ(上方落語家) 店子=趙 博(歌手) 聞き手=ぶうち古谷



胡散無産』 2002年5月31日発行(vol,14)
発行:「胡散無産」編集部/発売:潟rレッジプレス

(リード文)上方落語家になって二十年、現代にリンクする新作落語群を創作しながら、テレピ・ラジオに活躍する桂あやめ。大阪市天王寺区茶臼山のフリースペース「茶臼山舞台」の〈家主さん〉でもある。「あやめジャーナル」(テーマにそった新作落語とトークの会)、「できちゃった落語会」(新作落語会)、「ら<ご四てんのじ村」(天王寺周辺に住まいする落語家達の会)など自ら出演する会のほか、上方落語家や上方講談師の先輩、後輩の勉強会や他ジャンルのイベントに場を提供。階下にあるバー「P☆COAT」には夜な夜な天王寺を愛するオモシロ好きたちが集まり天王寺を熟<語る。「茶臼山舞台」とともに天王寺発、大阪文化の発信基地としての役割を担う。そして、「茶臼山舞台」を拠点に「パギやんの歌うキネマ」という前代未聞のイベントを立ちあげた〈浪花の唄う巨人〉こと趙博。「歌うキネマ」は、故マルセ太郎氏の志を継いで、趙博の愛する映画作品の魅力を歌と語りで伝えなおす注目のイベントである。
桂あやめと趙博、いわぱ家主と店子の関係。お二人の「茶臼山舞台」にかける情熱を語ってもらった。

■茶臼山舞台って何?
あやめ 茶臼山舞台を始めて三年ぐらいですかね。フリースペースなんですが、白分で企画する落語会とか、他の落語家さんの勉強会とかに貸してるんです。小学校ぐらいのときに、秘密の基地を作って遊んだ記憶があるでしょう。段ボール箱とか冷蔵庫が入ってた木箱みたいなんを空地において、壁紙を貼って。毎日みんな集まって、給食のパンをそこで食べるために持ってきたりして。ただそこでパンを食べるということだけでも、なんかすごいことしてる感じがするような、そんな場所がほしかったんです。
 落語会以外にも、彦八まつりの住吉踊りの稽古をするのに使ったりね。ここの備品なんかももらいもんのオンパレードで、林家染丸師匠に畳を買ってもらったり、笑福亭小松さんから金屏風もらったり、みんな持ちよってくれて、だんだん寄席らしくなってきたんです。後輩の落語家が勉強会やりたいと使ってくれるのも嬉しいし、うちの師匠(五代目桂文枝)が独演会前になるとここで稽古していきはるんですよ。師匠に使ってもらうことは一番うれしいことですね。茶臼山舞台を始めてよかったなと思う。落語関係以外でも講談の会とか、映画撮ってる子とか、パントマイムやってる人とか、このビルの屋上で芝居やったり、いろんな使い方をやってくれ
てます。

■やさしさの街
あやめ 天王寺が好きで住んでもいるんですが、この場所からなにかをやりたいというのがあった。春一番コンサートのように、野音(天王寺野外音楽堂)から関西の音楽がみんな生まれてきたという感じやし、昔は「てんのじ村」といって、芸人さんたちが何百人も集まり住んで、事務所もあって、そこから笑いが生まれてたということとか、通天閣歌謡劇場とか、天王寺駅前のストリートの子らとか、大阪発のなにかって、たいてい天王寺から生まれてくるのがおもしろいとだいぶ前から思ってて、キタでもミナミでもなく、天王寺発の大阪の文化みたいのがあるんではないかと。
趙博 天王寺の茶臼山というとトミヤ楽器。高校のときにバイトして最初にギター買うたんがあそこで。トミヤ楽器で楽器買うてないミュージシャンはモグリですね。
あやめ 関西では絶対そう!
趙博 いまだに、整理せいよーというぐらい店きたないし、でもその中に、ごっつうええ楽器あるんですよ。
 茶臼山いうのはね、ゆうたら淫靡な、で、ちょっと行ってみたい、恐い、でも憧れてしまう、そんな子供のころの印象ですね。じゃりんこチエの漫画でも描かれてますけど。ちょっとオシャレで、かつ、独特なスポットですね。
あやめ 自分でここに住みだしてから気づいたのですが、路上には売春婦が立ってて、段ボールのオッチャンが寝てて、裏の坂道なんかホモの発展場で、しかも伝統のある発展場でね、日本で最初の蔭問茶屋っていう男同士が寄り添う待ち合いができたのがこの地の旅館でホモの聖地なんですって。
 いろんなマイノリティの人たちがここの土地に集まってくるんですね。みんなすごく居心地がいんですよ。邪魔しあわないで、「道の一本向うはホモさんのとこや、行ったらあかんわ」と売春婦は立ち寄らないし、売春婦も台湾ゾーンとか日本人ゾーンとか、それに上下関係もあるみたいで、ちゃんと挨拶したりなんかしててね。「寒いですね」みたいな会語が繰り広げられてる。向かい側だったら昔ながらのきたな」いオカマが立ってたりとか、みんな棲み分けてるし、街に昔から住んでる人らも、そういう人らがくゐから排除するとかではなくハトとか犬がおるみたいなぐらいに街に普通におるみたいなそういう雰囲気があって、すごい都会やなと思うんですね。
趙博 僕は西成区で生まれ育ったんですけど、子供のころ、オカマいうのんがおって、おもしろおかしく言うわけですね。今はゲイの友達もおるけど、自分の体験としてはね、小学校三年か四年ぐらいのとき、風呂屋行ってね、みたらブラジャーはずしている人いるわけ。まちごうてはるわ思うて「おばちゃん、おばちゃん、ここ男湯やで」といいかけて、ぱっとふりむいたら驚いた。「あ、これが世に言うオカマか」というのが私の原点なんですね。あのときのぞっとした感覚と、あ、こういう人もいてはんねんやという奇妙な納得の仕方というか、それはありますね。
 だから、そういう意味では、大阪のいろんな文化の中に、いわゆるゲイとか同性愛というのは、もちろん蔑みの対象としてあったかもしれんけど、ちゃんと存在してた気がします。
あやめ 私の知り合いが天王寺を一番マンハッタンに似てるというたぐらいで、それぐらい都会の冷たさとやさしさが哺嫁同屠する場所と思うんですわ、住んで毎月二十一日はお大師さんで、四天王寺の参道にはびっくりするぐらいの人がやってくるし、朝は通学路で、夜は発展場とか売春ゾーンで、おんなじ道にいろいろな時間帯でいろんな人が使っるとこが好きなところで、こういうところやからこそおもしろいもんが出てくるという感じがするんですね。茶臼山舞台もそういうところのひとつとしてそういう匂いが好きな人が集まってきてくれたらなと思ってます。

■あやめジャーナルのこと
あやめ 「あやめジャーナル」は自分の気になるもの、身近なものの中からテーマを選んでます。売春とかホームレスというテーマをとりあげたのも、このあたりにたくさんいて、この人らどこに住んでてどういう生活してるんやろというのが興味があってのことです。
 前から、お笑いの番組よりもニュースのほうがずっと面白いなって思って、テレビや新聞でとりあげるようなこととか、逆に新聞であまり触れないようなこととかもやりたいなと思って。「あやめジャーナル」のお客さんは、テーマに興味のある人も来るっていうのはあるんですけど、わりと普通の落語会に来るようなお客さんも多い。テレビを見てる感覚ですね。マニアの集まりにはしたくないというのはいつもありますね。興味本位でみに来たという来かたが一番いいと思いますね。
 テーマにそったゲストの人もたいてい関西人ですけど、やっぱり関西人というのは重たいテーマであってもそれを笑えるようにしゃべるのが普通ですからね。東京弁でせつせつと語るより大阪弁で笑いをとるようにしゃべりはるから、そのへんが白分の感覚と合うというか、あまりにもテーマについて熱く語られても困るし、そのへんの笑いも入れながらしゃべれる人に来てもらおうと考えてます。



本文挿入写真(左:趙 博、右:桂あやめ)

■歌うキネマのこと
趙博 ここで「歌うキネマ」をやりたいと思うたのは、間尺に合うというかな、規模的にもちょうどいいんですね。マイクなしで語る芸ですから。映画を歌と語りでまるごと再現する:…ま、今年の私の一大宿題で、四回とも客席が満杯になるようにと思ってます。
 四月十七日に第一回目の「歌うキネマ」として映画「ホタル」をとりあげるんですけど、「ホタル」は去年観たときにふと思うたんですね、マルセ太郎が生きてればこの作品を演ったかな、演ったとしたらどう演ったのかと。「ホタル」っていう映画は賛否両論あるんですよ。特攻隊を美化する映画という人がいるし、逆に、卑屈な日本人やなしにもっと特攻隊というのは勇ましかったとかね。だから、これは語っておきたいな、僕はこう観たよというのをやっておきたい、言うたもん勝ちですからね(笑)。
 高倉健が演じる元特攻隊の生き残りが、白分の上官だった特攻隊で死んだ朝鮮人の言葉を伝えにゆくという話なんですが、誰もやってないことやと思うんですね。反戦とか、戦争が悪かったとか、特攻隊は犬死にやとかいろんなことあるけど、具体的に個人として、ひとりの人問としてずーっとこだわって戦後を生きてきた人でしょ。
 日本映画にしては珍しく原作ないんですね、文学作品じゃないんですよ。監督と脚本家が書いたんですが、落語にもなるなと思うたし、舞台でもできるやろなと思うたし、普遍性があるなという気がしたんですね。ただ、逆に、小泉みたいなアホがやね、あの映画観て感動したというのも確かやと思うねん。そやから、それやられん前にこっちがやっこうと。ま、向うはやれへんやろうけど(笑)。そういうので僕は「こう観ました」というのを語っておきたい。
 「マルコムX」はね、これはねマルコムXを私が演じたい。あの見事な英語の演説をやりたいというのが前からあって。あれは見事ですよ。「我々は黒かった。アメリカなんて国がある前から黒かった。我々は黒かった。黒かった、黒かった、黒かった」とたたみかけるような演説、講談ですよ、あれは。これを演りたいんですね。あと、「泣いてたまるか」はテレビで放送された分の四回分をひとつにまとめてですね、「風の丘を越えて」は韓国映画で、パンソリを演りながら語ろうと思ってるんですね。
映画ってものがもってる了解のさせかた、伝えかたってものを、「ちょっと、あんた、このあいだこんな映画観てんけどな、あれよかったで」っていうそんな雰囲気を高座で出せたらいいなと思うんですね。

■関西人得意のノリ
あやめ 自分が好きになるもんてやっぱり落語的な見方というかね、映画でもウッディ・アレンの映画って落語家的な発想の人やなと思っていつも見るんです。やっぱそういうもんを好きになるし、歌の歌詞だって毒のない歌詞はあんまり魅力感じないんで、どこか毒を隠し持っているものが好きですね。素直にいいなあ、キレイだなというのはぜんぜん感動しないけど、その奥になにかキラッと隠されてる毒みたいなものをみつけたときに好きになるというのは、映画でも芝居でも多いですね。
 関西の場合は、すぐつながるんですね、世問狭くて。周波数の同じの人どうしというのはわりと行く店とか行動範囲が似てて、ここでも会った、どこそこでも会った、それでいつしかつながっていくのが多いですね。あ、この人ええなあ、友達なれたらええなあ、いつかいその一、二年以内には必ずどっかで出会って、いっしょにするようになっていく、それが関西ノリって感じしますね。
趙博 それがいいところでもあり、悪く言えばでたらめいうか、狭いシェアを奪い合ってるいうようなこともあるけれど(笑)。コラボレーションなんて言葉ができる前からやってたよね。寄席って実はそんな場でしょ。
あやめ 寄席あつめですもんね。うちの師匠がね、玉出に住んでて、いつもいくピエロという喫茶店があるんですけど、そこにはいっもミュージシャンがたまってて、師匠にしたら「なんや音楽やってるニイチャンが寄ってるな」ぐらいやけど、お互いそれぞれ地位を築いたときに「あの人、えらかってんな」とお互いに気がついたみたいで。
 まえに石田長生さんと話したときに「俺、いっぺんあれやで、白分とこの師匠の落語な、〈船弁慶Vゆうのん、ギターで弾いてんで」。お囃子が入る部分をギターで弾いたって聞いて「えーっ」ってなった。「わりとおもろかったわ」「えっー、どんなんやったんですかあ」とかね。そんなことがあたりまえにノリで実現してしまうところがおもしろいですね。東京の仕掛け人がプロジェクト組んでやるとかではなくてね。そういうようなことが、ここ茶臼山舞台でも起こっていったらおもしろいと思いますね。(後略)


「悲劇喜劇」(02年6月) 対談:演劇時評から

「対談 演劇時評」から ハルモニの幸福 (貝山武久・今村忠純)



『悲劇喜劇』 2002年6月号(通巻620号)
発行:早川書房


高田 (中略) では、二番目には軽く、矢野陽子喜劇ショツ「唱劇ハルモニの幸福」を。皆乃春満作、演出は永井寛孝。三月五日、シアターXで一回だけやったんですね。
貝山 「ぐるーぷえいと」の創立に参加して、解散後はマルセ太郎の作品に多数出演していた矢野陽子が、ハルモニシリーズの三部作としてつくった、その最終作ということでしょうか。
 演出の永井寛孝は、マルセ作品の「イカイノ物語」で長男の役を好演していた俳優でもあります。言ってみれば、ハルモニを題材とした矢野陽子の一人芝居というようなスタイルになっているわけなんですけれども、劇の形式として特徴的だったのは、楽士として、在日二世のシンガーソングライターの趙博を起用、この方とのコンビネーションで音楽的要素をふんだんに取り入れて公演するのが、このシリーズの特色なんです。
 場面は、ハルモニに扮した矢野陽子が、自家製のキムチを漬け始めるところから、漬け終わるまでの時問内の中で語るという設定になっています。
 一人芝居といえば、関西芸術座の新屋英子の「オモニ」の芝居がすぐ思い起こされるんですけど、今回の矢野陽子の芝居は、一言でいえばソフトで、ユーモラスな語り口になっていたという感じがしましたね。
 「ハルモニ」の話には付随して必ず「ハラボジ」つまり、おじいさんの話が出てくるんですけれども、このハラボジが大概の場合ダメ男なんですよね。(笑)その分ハルモニが苦労するというつくり方になっているんですけれども、この世界というのはまるっきりマルセ太郎さんの作風そのままの世界で、やっぱり笑って観ながら、どこかでちょっとほろりとするような、そういう共感の持てる舞台だったと思います。今村 語りというのは、また一人芝居というのとは別に一つのジャンルをつくっているような気もします。たとえば、平野啓子とか、一葉をずっと語り続けている幸田弘子とか、まだ大勢いると思いますけれども、そういう語りの世界とはまた別の、新種のジャンルをつくりつつある。
 おっしゃったとおり、キムチを漬け始め、そして漬け終わるまでのプロセスを手を真っ赤にして、そこにハルモニの物語が始まり終わる。ということは、生活の中の「食」、それがそのまま舞台に生かされていた。


本文挿入写真:「唄劇 ハルモニの幸福」より

貝山 そうですね。やっぱり趙博の音楽がすごくよくて、パンソリを主軸として現代音楽まで、いろいろなふうに、あるときは音響効果風に使ったりして、ともすれば単調になりがちな舞台を多彩にしていたと思います。
今村 あるときには呼びかけになったり、物語を推し進める、あるいはこれまでのお話のおさらいをするといったように、これはまた新しい手法に。
貝山 そうですね。かけ合い漫才風にやってたところが面白かったですね。一人のハルモニの話でありながら、同時にそれは、日本の母親すべてにも共通する話として聞くことが出来ました。そういう意味で共感を覚える観客も多かったんじゃないでしょうか。もっと、小集会なんかで、手軽に上演される機会を持てたらいいんじゃないでしょうかね。(後略)



夕刊「まねき猫通信」 創刊準備号(02年4月)

インタビュー 趙 博さん 「バリアフリーって、なんやねん?」




「まねき猫より、ごあいさつ」

    はじめまして。『まねこ猫通信』です。

    福をまねくまねき猫。このちょっと変わった誌名は、「いろんなひとをまねきたい」という思いをこめて名づけました。

    『まねき猫通信』は、名前のとおりだれもが入ってきやすい雑誌です。人と人との出会いをまねき、すべての人が暮らしやすい社会をつくっていきたい…

    基本は楽しくおもしろく、でも、おかしいことに対しては「おかしい!」と声をあげる。そのためにみんなで考える場をつくっていくのが『まねこ猫通信』です。
    見た目はうすーいけれど、中身はけっこうつまってます。

    あなたも“いい出会い”にまねかれてみませんか?


『まねこ猫通信』 創刊準備号(2002年4月)
発行人:関西障害者定期刊行物協会
編集人:ぷくぷくの会(吹田市寿町2-25-13/06-6317-5598)
定価:200円

※購入のお申し込みは、郵便振替で
 口座番号:00940−0−161341
 口座名称:まねき猫通信
※定期購読すてくださる個人、お店、団体、会社など仲間を募集しています
 個人会員:年会費2千円(毎月1冊、送料込み)
 サポート会員:年会費5千円(毎月3冊、送料込み)
 法人会員:年会費一口1万円(毎月5冊、送料込み)

 趙博(チョウ・バク)さんは大阪市西成区生まれの在日コリアンニ世。愛称パギやん。予備校講師で、ミュージシャン。フォークソング、ブルース、ロックはもちろん、朝鮮の古典民謡や打楽器、浪曲までこなします。
 二〇〇二年二月六日、大阪府吹田市のメイシアターにおいて、地元の干里高校が人権についてまなぶ「同和ロングホームルーム」の時間に趙さんをまねき、コンサートを開催しました。ゲストはクラリネットの大熊ワタルさん。コンサートは、朝鮮民謡「アリラン」や最新アルバムのタイトル曲「光のエチュード」など、トークをはさみつつ約一時間半おこなわれました。
 参加者は一年生全体の約三二〇人。生徒の感想をきいてみると、「教室で先生の話をきくよりも自分のなかに入ってきた」「平和について考えさせられた」と好評でした。
 『まねき猫通信』がめざす、すべての人が暮らしやすい社会。そのためのひとつのキーワードとなるのが「バリアフリー」(障壁をとりのぞくこと)です。コンサートを終えたばかりの趙さんに、バリアフリーについてお話をききました。

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バリアフリーは弱者の叫び
――バリアフリーについて趙さんの考えをきかせてください
 基本的には、弱い立場、差別される人問の側からの表現だと思います。バリアフリーというのはできあがった理念ではなく、まず「そうしてもらわないと困る」という弱者の側からの異議申立てが原点だと思うんです。人権という思想・概念がそうであるのとおなじように、なにももたない人たちの叫びから生まれてきたもの――ここをはっきりしとかなアカンと思う。
 広い意味での人権運動は、つねに矛盾をかかえています。社会にむかって発言していくときに、社会全体に受け入れられるような論理が必要でしょう。つまり、「バリアフリーというのは障害音だけでなく、健常者にとってもエエことやねんで」というてあげんと、「世間」はわかりよらん。戦術的に説明せなあかん、そこが歯がゆい。これが第一点目。
 つぎに、歯がゆいと同時に、いや、歯がゆいからこそ、そこから深まりを求めたいんです。たんなる異議申立ての次元じゃななくて、そこから戦略的に普遍性へむかいたい、というのが第二点目。じつは、これがシンドイ。
 ぼくはいつもこの二つの要素が気にかかるんです。べつの例でいうと、たとえば在日朝鮮人をはじめ定住外国人が選挙権を求めるとき、それは自分たちのためであると同時に日本社会全体にとってもいいことになるんや、ということを主張せなあかん。つまり、自動的に差別する側にも手をさしのべることになる。
 
――正直なところ、悔しいという気持ちもあるでしょうね。
 そう。だから、「超えるもの」が必要なんですよ。で、それがたぶんバリアフリーとか人権という思想や言葉になってくるんだと思うんです。

――その「超えるもの」というのはなんでしょう?
 ヒントになると思うのは、たとえば「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」というイエス・キリストの思想。バカなこというな、と思うけど、やっぱりすごい境地です。それと、親鷲の「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の悪人正機説。つまり、悪人こそ救われてしかるべきだという、あのすさまじい価値転換。ほかにも、アメリカの黒人解放運動における「ブラック・イズ・ビューティフル(黒いことは美しい)」、あるいは水平社宣言の「われわれがエタであることを誇りうる時がきた」などなど…。
 いままで世間一般ではさげすまれ、価値のないものとされたその実存にこそ人間の価値があるんだ、という発見!  「超える」思想は、そこからしか生まれないと思います。

――みんなラディカルな発想ですね。
 ラディカルで、かつ優しい(易しい)。とがってないんですよ。ほんで、最初はみんなにバカにされるんです。「なに甘っちょろいことをいってるんだ」と。でも、そこになにかヒントがあるような気がする。
 考えてみれば障害者の運動は、いわゆる資本主義社会の発展とか、資本家的豊かさという意味では、なんの生産性もないでしょう。そこがいいんです。

――そういう意味での価値観の転換は、やはりさげすまれている側からいっていくことになるんでしょうか。
 それがまず第一でしょう。ただ、障害者ってなんやねん、朝鮮人ってなんやねんというと、たとえぱ法律や一般常識による定義はあるけど、実態的には線引きはむずかしくなってきてる。当然ですよね。あらためて考えてみると、「障害者や朝鮮人」でなくても、人間だれしも「なにか」をかかえて生きているわけでしょう。だから、当事者性や立場性というものに、もっと横断的な関係があっていいと思うんですよ。よくいうじゃない、「足を踏まれたものにしか痛みはわからない」って。たしかにそうだけど、いろんな立場の人問を橋渡しする「なにか」がかならずあるはずです。そうでなかったら「当事者が絶対だ」という逆転が起きてしまう。

想像力と緊張感
――でも、自分の苦しみに対して「しんどいのはみんな同じ」といわれたら、ちょっとちがうなと思います。
 そうそう。一般化するのもおかしいですね。個別性にはこだわらないとあかんわけですよ。要はこだわり方の問題だと思います。個別具体的な話をしているときに、「人間みんな平等や」といういい方で一般化するのはおかしい。逆に、もっと普遍性を求めて話をしているときに、「私らはあんたらとはちがう」といわれても、そこでとまってしまう。さっきの矛盾に、つねにその二つが重なりあうんです。これって、問題の根本のような気がしますね。
 
――そこがうまくかみあわないことが多いと。
 それこそが、われわれの暮らしているこの社会であり、今の時代だと思います。この問題はひょっとしたら解決しないかもしれない。でも、それがエネルギー源になるのかな。

――人の痛みはわからないけれどもどうわかろうとするか、ということですか。
 つまり、想像力ですね。「差別されるものの気持ちがわかるか」と問われたときに、「わかります」と簡単に答えるやつもあやしいけど、「わかりません」と開き直るやつは、ドツイたろかと思うほど腹立つね(笑)。
 ぼくだって「わかるか」と問われたら、「今はわからんけど、わかるように努力したいと思う」ぐらいしか答えられんかもしれない。でも、その緊張感がだいじなんです。
 想像力をウンとはたらかせて、緊張感をもちつつ、おたがい尊敬しながらケンカできたらエエのになあ…。日本はね、戦後の体制そのものが無責任であいまいだから、過去のことを反省しつつ未来にむかって人間関係をつくっていくという国民的経験、民衆的レベルでの文化がないんですよ。

――そうやって開き直る人たちにはどうアプローチしていったらいいでしょう?
 ほっといたらよろしい。そういう輩は、ぼくらが楽しくやってたら、うらやましいと思っていずれ寄ってくるでしょう。寄ってこんでもええけど。ただしじゃましやがったら許さへん(笑)。

社会にくすぐりを入れる
――異議申立てとしての人権やバリアフリーと、対話とはちがうものということですか?
 対話の前提は「わかりあおうとする努力の存在」でしょう? 石原都知事みたいな差別者にどんな教育プログラムが有効ですか? さっきの話に通じるけど、強い者と弱い者の「対話」なんてありえませんよ。どないしたって強い者が勝つんですから。
 こう考えたらどうかな――マジョリティがしっかりしてないから、マイノリティが不安になる。一億二千万人の日本人がしっかりしてたら、たかが六〇万人の朝鮮人はなんとかなるんです。健常者がしっかりしてたら、障害者なんて言葉もなくなるはずや。ぼくらはマジョリティとつきあわないと生きていけないけど、むこうは別にこっちとつきあわんでも生きていける。そこがおかしいと気づいた人とは、対話できると思う。今後、マジョリティや強者がとなえるバリアフリーは「なあなあ」の代名詞になるだろうけど、ぼくらの側でバリアフリーを一般化してはいけない。差別者に対しては、あくまで当事者の不都合や不快さをとりのぞけと訴え、闘うべきだと思うんです。バリアフリーというのは、だれにとっても使いやすい響きがあるから、容易に一般化されてしまう。でも、根本はなにか、どこからはじまったのかということを忘れてはいかんと思います。
 現存するすべての権利とその形態には、それぞれ「獲得されてきた歴史」があるのに、日本ではそれを公教育の場でちやんと教えないでしょう。民主主義や障害者の歴史にかんしても、その教育は皆無といってもいいと思います。

――バリアフリーというとハード面の整備を考えがちですが、お話をきいていると人間どうしの関係の問題になりますね。
 それぞれの人間関係のなかで、はじめは「ぎこちなさ」があるもので、すぐにバリアフリーができるもんじゃないですよね。フリーな関係をつくっていくためにこそ、毒気とか「くすぐり」は必要ですね。かつて「重度健常者リハビリセンター」という看板をかかげて活動していた宇都宮さんという人がいたらしいです。差別される側の痛みにあまりに鈍感で、なんにもできない、自立していない人間を「重度健常者」と呼んで、それをリハビリしてやるんや、と(笑)。宇都宮さんの介護グループは、まさに価値の転換を学んだと思います。
 駅にエレベーターがあれぱバリアフリーだ、というものでもない。逆にエレベーターがあることで障害者と健常者の関係が切れていくのであれば、それはバリアフリーではないはず。ハード面の整備がされると同時に人間関係もよくなっていく、そんな総合計画が必要じゃないですか?その思想は「重度健常者」の側からは出てこない。絶対に無理、不可能です(笑)。

――最後に、趙さんは音楽で表現をされていますが、バリアフリーを実現していくために、音楽の力をどう考えますか?
 音楽で「訴える」のはイヤですね。言葉はかたいから音楽で訴えよう、というのがいちばんダサイ。でも、社会のさまざまな問題や人間愛といったメツセージは、ぼくの音楽のなかに自然に入ってしまいます。それがあたりまえじゃないですか。 ところが日本の音楽業界って、あまりに没社会的です。音楽やっている人間が社会参加するのは、たとえばアメリカや韓国、ほかの諸外国ではあたりまえなのに、日本では「社会派」と呼ばれてしまうんですよ。これは「むずかしいことはわからない。いいじゃないか、かたいことは…」と思いこませて、人びとにものを考えさせない、全体的な社会状況の反映です。政治と文化、歴史と芸術、切り離せるモンならやってみい、と逆にぼくはいいたい。一方、メッセージや主義主張だけでへたな音楽や演劇やられるのもたまらんけど。エンターテイメントこそ、最高の精神作用ですぞ!
 ぼくは、気のあった仲間と音楽をやってます。最高の「ぜいたく」をさせてもらってます。その「ぜいたく」がなにかの役に立ってるなら、至福というものです――と、ええカッコいうときましょうか(笑)。


朝日新聞大阪版 2002年4月25日(木)夕刊

「スクリーンのない映画館」受け継ぎます――シンガー 趙 博 「歌うキネマ」


 大阪のフォークシンガー趙博が4月から、大阪市天王寺区の茶臼山舞台で、映画1本を一人芝居で演じる連続公演「歌うキネマ」を始めた。趙は去年死去した俳優のマルセ太郎と晩年、同じ舞台に立ったことが縁になり、マルセの十八番だった映画一人語り「スクリーンのない映画館」の復活を目指す。
 初回の17日は高倉健主演の「ホタル」。「話すことは何もない」と健さんのぶっきらぼうな声色をまねたと思うと、「おじさんは特攻に行ったの?」と少女の声になる。体の前でてのひらをひっくり返して「オーバーラップ」を表す、苦し紛れのしぐさには、会場がドッとわいた。
 在日二世の趙にとって、『アリラン』はいわば持ち歌。映画の中で朝鮮人の金山少尉が特攻前に「アリラン」を歌うシーンでは、ギターの弾き語りがさえ、観客からはすすり泣きももれた。最後は健さんに戻って「美しいのは戦争ではない。命と魂が美しいのです」と映画にはないセリフで締めた。
 趙はマルセの生前、「スクリーンのない映画館」に感銘を受けた。「泥の河」「生きる」などの映画を、独特の解釈や語り口をはさむことで、より立体的に観客の心に訴えかけるように見せていたからだ。マルセの死後、もう一度、あの一人語りが見たいと思い、自分で演じることにした。「マルセさんと同じように、ではなく、自分なりに演じたい。本業は歌手なので、歌がたくさん出てくる映画を選んだ」と趙。
 今後も二ヶ月ごとに開く。6月19日=「マルコムX」、8月21日=「泣いてたまるか」、10月16日=「風の丘を越えて―西便制」。午後7時から茶臼山舞台(06−6774−9655)で。1500円。


マスコミ市民』2002年3月号(No.398)

私メ、不敬だそうです…。


■ 御皇孫殿下を産んだんやない・人間の子を産んだんや!

 雅子がこんな人間的な叫びを発することは、今後あるのだろうか?
 さて、この件についてはあとで触れるとして、…来ましたがな!待ってた甲斐があったでぇ。ついに「差別メール」が私にも来ましたがな!!きゃぁ、嬉しい。これでワタイも晴れて「ネット社会で一人前」でんなぁ。
 ご披露・御顕彰申し上げ奉りまするぅ〜。

  日 時:2002年1月21日 8:47
  差出人:Doctor Satochan
       peacemedium@k4.dion.ne.jp
  文 面:
    お前、「ガーリックちんどん」で不敬な歌を歌っとるそうやな。
    あんまりいい気になるな。このボケ野郎!!
    日本が嫌ならさっさと朝鮮に帰らんかい!!

 『ガーリックちんどん』とは、2000年夏「国旗国歌法制定忌捻」にリリースした、4枚目のCDアルバムのことでおます(因みに昨年秋には5th『光のエチュード』を出しました→これ、宣伝)。けどなんですなぁ、このテの輩のドアホさには恐れ入りまっせ。メールアドレスを開示してどないすんねん。儂がその気になれば住所氏名を特定できる、という事実をこのガキはどない考えてるのやろ?因みに、4年ほど前の
ことやけど、携帯電話の番号から本人の住所が判明して、儂に「襲撃」を受けたTなるボケがおりました。こいつは元・義兄で、千数百万の借金を踏み倒してウソをつきまくり、逃げ回っとったんやけど、ドブネズミの如く見事捕捉されよった。そのときの調査料はたしか2万3千円やったと記憶してまっけど、愛読書『ラジオ・ライフ』(オタッキーのあなたは知ってるでしょ?知らないあなたは遅れてるよ!)の広告を見てある調査会社に金を振り込みましてん。振り込み確認後30分もせぇへんうちに住所が判明。同時に、同誌で見つけた日本橋の「スクープランド」というメッチャ怪しい店で、儂は手錠とスタンガンを購入。それに「フィンガーグローブ」と縛縄で武装して大阪市都島区のワンルームマンションを「襲撃」し、Tは観念しよった。
 さて、Doctor Satochanは、なにげなく「腹立つ!」とばかりに儂にメールを送りつけて溜飲を下げたんやろうけど、この情報化社会の中でプライバシーなど存在しないという覚悟は持ってるんやろな?つまり、いたずら電話ですらかなりの確率で「発信元」がバレるほどだから、「匿名」はもう匿名ではないんやで。因みに因みに、昨年夏、毎夜の如くいたずら電話をかけてきたSなる女性の場合、儂が「ナンバーディスプレイ」機能の電話に機種変更した後に電話番号から住所・氏名が判明した。「来週○曜日にオンドレのアパートに行って話つけたる、覚悟せぇ!」と怒鳴り上げたところ、「夜逃げ」さらしよった(笑)。
 ことほど左様に、「IT革命」時代における「ドタマの悪いヤツ」は、底なしの愚鈍さを露呈する。ドタマ悪いから己のドタマの悪さは自覚でけへんやろけど、自分の命だけはもっと大切にしたほうがエエのになぁ。誤解せんとってや。儂は「電話番号やメールアドレスから個人が特定される」ような社会やその仕組み、あるいは「犯罪すれすれ」の商売を礼賛してるのやないでぇ。「世間」にモノ言うたり、ナンゾ誰か
に仕掛けるんやったら、それ相当の、いや以前にもましてかなりの、覚悟が要るっちゅうことを再確認してるんや。

■天皇は朝鮮人である!?

 さて、冒頭の話に戻る前段の話。
 白土三平は『カムイ伝』で、徳川家康は「きさら者」という賤民を出自とするというストーリーを展開した。手塚治虫は『アドルフに告ぐ』で、ヒットラーにはユダヤ人の血が流れている、とした。いずれもその「事実」をめぐって壮大な歴史ドラマが展開するのだ。だから、私は常に思っている…両作品に倣って――天皇は朝鮮人だ、というトーリー展開で、誰か小説か漫画を書かないかなぁ…
 だって、ご本人が認めたでしょ?桓武天皇の后は百済の王女だと。天皇家は「万世一系」ですから、日本の皇室には「朝鮮人」の血が流れてるわけや(しーっ!南北朝のことは触れないであげてね…)。だから、朝鮮人を差別するヤツこそは、不遜・不敬・不浄なのだ(笑)。朝鮮・韓国人をバカにするヤツは、大和民族の風上にもおけぬ非国民なのだ!!
 「朝鮮にかえれ!」という罵倒ないしは差別・扇動に対しては、これからこう答えましょうよ。「そうですね、御天子様もご一緒に!帰国費用は公的資金で国費ですよね(笑)。」

■皇室は危機である!?

 さてさて、お世継ぎの話。
 まずハッキリさせておこう。雅子は失格!――男を生んで初めて皇太子妃の面目躍如なんぢゃ…。何がめでたい?何が「御皇孫」ぢゃ、出てきたんはオンナやないかい。女はアカンのぢゃ!
 女帝?絶対ありえない、絶対に。皇室典範を変えるというのなら、皇位継承のルールはどうするんや?つまり、美智子も華子も、紀子も雅子も、サーヤも、みな「皇位継承第○位」とランク付けせなあかんねんで。「皇位は男系の男子、これを継承す」→sanctified articleぢゃ。
 因みに「男系の男子」とはなんでしょう?昔、私が講師をしてた大学のレポート試験で「ホモセクシャルの男性」と答えた学生がいたが、勿論そういうことではない(しかしこの発想は実に面白いし大切にしたい)。男系の男子――つまり「テテ親がはっきりしてるチンポついてる人間の子」ちゅうコッちゃ。女系の男子は皇位継承でけへんし、男系の女子もあかんの。
 さらにさらに、「女性皇族は立ち入れない」「生理中の女性は接近すらできない」儀式が大嘗祭などに集中していくつもあるんやでぇ。どうするの?
 ほんでほんで、愛子ちゃんの旦那はどこから選ぶの?皇婿、つまり種馬や…やめたってぇな、皇婿になった男の人権は一生・一切無視される。「后選び」も人道にもとるが、「婿」選びは、この社会が男社会であるが故に、更にさらに、グロテスクですらある。
 皇室は危機だ。あのふやけた天皇、にやけた皇太子…美智子・雅子・紀子…良妻賢母の鏡のように言うが、あの作り笑いの下手な女性皇族…この一族のフヌケ顔と平和ボケの、ドコに大和魂の「象徴」が、イズコに大和撫子の手本が見えるか!?
 再々度言う、「必要なのはオトコ」なのだ。大元帥閣下にあらせられた先帝の御霊前に土下座して、一同、恥を知れ!
 爾臣民、男子皇族の新生の時こそ慶祝を奉じよ。マコトの御皇孫殿下ご出生の時こそ歓喜のうちに感涙を流せ!

■「血統の高貴さ」とは、人非人の別称である。

 「貴あれば賤あり」――名言中の名言だ。生まれたての、まだ名もない赤ちゃんに「内親王・新宮・御皇孫殿下」などと、人間扱いしないこのクニと、「万歳・万歳」と特攻を送り出すに等しい心情で祝うヒト・タミ・ヒトビト…

  あの子がもし「障害を持った子」だったら、どうするのだろう?
  あの子がもし「皮膚の黒い子」だったら、どう説明しただろう?
  あの子がもし「死産」だったら…何が秘匿されてたいただろう?

 天皇・皇后・皇太子・皇太子妃・御皇孫…この「人非人」か化け物のような「身分」から、あの人達が解放されない限り、このクニの、このタミの、人間らしい幸せは絶対ありえない。また、侵略と差別・不自由と不平等の「象徴」を崇めているような人間に、人間らしさのへの回帰または回復は、微塵も望めない。本当に「皇族を愛する」のなら、あの人達が「人間(homme)」に戻る道を用意すべきではないのか。
 中国も朝鮮も、とうの昔に「王制」を廃止した。東アジアにおいて「王制」が残存するのは日本だけだ。皇室典範を変えるなら、まず「天皇をやめる自由」を認め、明記すべきではないか。美智子よ、己の姓を取り戻せ。明仁よ、徳仁よ、我々在日外国人と共に参政権獲得のために闘争しようではないか。
 皇居前広場に集まった2万5千人の、奉祝記帳した8万人の、怒りもしない・疑問も抱かない無数のニホンジンという愚民(中には非ニホンジンもいるだろうが)の存在――私の恨[ハン]は、ずっとずっと発酵し続ける。これ以上、「皇族」を揶揄や批判の対象にさせないでほしい…。

   「他民族を抑圧する民族は真に自由ではあり得ない」
   「暴君下の臣民は、暴君以上に凶暴である」
         ―――このクニを照らす鏡のような名言でおます。

(当HP『ひとりごちる』既掲載文の改訂版)




『ひょうご部落解放』 2001年1月号 (Vo.103)

けったいな意匠 町中で・旅の途中で見つけたケッタイなdescriptions  by 趙 博


 ◇今里筋の小さな工場[コウバ]  『鉄パイプ 旋盤加工』

     「内ゲバ御用達の店」か?…よう見たら鉄とパイプの間の[.]が消えてた。


 ◇天下の毎日放送(茶屋町)& 日本全国津々浦々で  『CLOSE』

     「閉店」の意味でしょうね…しかし closed なんです。日本の国際化は  ほど遠いわ…。英語使うなよ!!!!

 
 ◇曾根崎署 『ストップ・ザ・不法就労』

     「ザ・不法就労」というバンド名かと思った…百歩譲って「不法在留」は  存在するとしても、すでに働いている人間に「オマエが働いているのは不法や!」と、どうやって言い渡すのだろう?私の親戚で2年間 over stay で働いて、その後入管に自首して「自費出国」した女性がおるねんけど、彼女も 「不法就労」やったんやなぁ...わし、密告せぇへんかったで。
     「自負出国」できる金があったらお上はナニも言わないのですぞ。みなさん、その金だけ確保したらすすんでドンドン「不法就労」いたしましょう。
     因みに彼女は済州島に立派な家を建てはったけど…夜、国際電話で子供に「もうちょっとで帰えるから…お金たくさん持って」と、何度も泣いてた。電話代はウチ持ちで…


 ◇ブッシュ&米軍 『Infinite Justice』

    例の「限りなき正義」ですけど、あきらかにGod's infinite mercy 「神のご慈悲」からパクったんでしょうなぁ。infiniteは、never-ending ですから未来永劫にわたって戦争するんでしょう。
     因みにinfiniteには「不定形の」という意味もある…「形のない正義」 ――さすが「米帝様」!!!

 ◇新宿のゲームセンター 『外国人お断り』

     …どうやって見分けるのか?中にはもっと酷いのがあって『中国人お断り』が何ヶ所か。石原の影響やで、これは。日本人の皆さん、外国人や中国人の振りをして、一度入ってみてくれませんか??

 ◇福井・鮎川町の海岸 『ゆるすな密航 あなたの目と耳110番』

     密航者を密告せい…言うことやろな。けど、どうやって見分けるん?




『朝日新聞』(石川県内版) 2002年2月7日(木)

浪速の唄う巨人「パギやん」 15日、小松でコンサート

 浪速の唄う巨人が小松市にやってくる――。「パギやん」の愛称で親しまれている予備校講師でミュージシャンの趙 博(チョウ・バク)さん(45)が、小松市土居原町の「山屋楽器」で15日午後7時からコンサートを開く。昨年秋、発売したニューアルバム「光のエチュード」の中の曲を中心に歌う。ギタリストの矢野敏広さんとのセッションだ。
 趙さんは大阪市西成区生まれの在日韓国人二世。ギターとプク(太鼓)を演奏しながら、ロックやブルースのほか、朝鮮半島の古典民謡などを歌う。また、「君が代づくし」と題して英語、中国語、韓国語などで君が代を歌いながら解説をする「ギター漫談」もある。
 チケットは2千円。定員70人。予約・問い合わせは山屋楽器(0761―24―5155)

2月15日小松コンサートのスケジュールを見る 小松コンサートのチラシを見る ●小松コンサートのチケットを見る



『大阪日日新聞』2002年1月22日

「ちんどん屋」音楽――仏料理にも合います!? 空堀でライブ


1日24日発行の「大阪日日新聞」に大きく記事が取り上げられました
(左下の写真は路上的旅人さんの合成です)




楽しい演奏を披露する趙さん(右から2人目)とチンドン通信社のメンバー。会場周辺は多くの人であふれ返った(新聞のキャプションから)


  「ちんどん屋」の発祥地といわれる、大阪市中央区の空堀地区で二十日、「ちんどんライプ」が行われた。会場はフランス料理店で、店先を使ったちんどん屋スタイルのにぎやかな歌と演奏に、訪れた多くの市民が楽しんだ。
 ライプを仕掛けたのは、フランス料理店で「空堀」をテーマにした写真展を開いている写真家の川谷清一さん(45)。無料開放される店内の写真展と、明治時代に同地区で生まれたとされるちんどん屋の音楽で、より多くの人に「空堀」の魅力を知っでもらおうと開催した。
 ライブには、同地区に事務所を構える音楽グループ「ちんどん通信社」の五人と、予備校講師でミュージシャンの趙博(チョウ・バク)さん(45)がノーギャラで出演。いずれも川谷さんが撮影を通じで交流を持つ、同地区ゆかりの人たちだ。
 ライブが始まると、「通信社」のメンバーは、ちんどん太鼓やアコーディオン、バンジョーなどでにぎやかに演奏。趙さんも大阪や韓国をモチーフにしだ歌や、フランス料理店にちなみシャンソンなどを熱唱した。会場は店先のみならず、向かいの桃谷公園まで詰め掛けた人たちであふれ、なかなかの盛り上がり。歌と演奏の数々を心ゆくまで楽しんでいた。
 川谷さんは長屋など趣のある同地区の魅力を力メラに収め、同店にその力作を展示。連日、料理と写真展を楽しむ人たちでにぎわい、「商店街に人の流れができた」と地域活性化の面でも成果が表れでいる、という。
 川谷さんは「地元の良さをもっと地元の人たちにも知っでもらいたい。地元のエンターテイナー、音楽、写真などを通じで、『こんなんあったんや』という発見が生まれてくれれば」と話していた。







『毎日新聞』(関西管内版) 2002年1月5日(土)

「これから/浮惑の時代」シリーズC

ガーフさん提供 昨年12月29日、大阪・心斎橋の小さなレストランー・バー。20代の女性から中高年まで約20人の客で埋まった。予備校請師でミュージシャンの趙博[チョウ バク]さん(45)のライブが始まった。182センチ、102キロ、巨体に丸いサングラス。いかつい風ぼうだが、柔らかい語り日で客を笑わせる。
 「くやし涙にくれながら 泣いでかえった道すがら おかあちやんのはだらぐとごを見だ」
 シャンソン歌手、美輸明宏の日雇い労働者の歌「ヨイトマケの唄」を、朝鮮民謡のリズムに乗せてアレンジした。なまりを入れて、親の世代の在日韓国・朝鮮人の思いを表す。野太く絞り出すような歌声が哀切に響いた。

□  □  □  □  □  □  □  


 趙さんは在日韓国人2世。大阪市西成区に生まれた。12軒長屋の2階の2間で、親子6人暮らし。1階は両親が営む溶接工場だった。右目は生後すぐ、雑菌が入って失明した。在日、障害、貧乏。いじめのネタに事欠かなかった。宿題を忘れると、小学校の教師は「お前は朝鮮人やからアカン」と露骨だった。
 中学から勉強と柔道に励んだのは「リベンジのため」。席次を5番以内と決め、落ちたら自分をどついた。「日本籍を取って、西成からサヨナラする」の一心だった。睡眠時間4時間の生活がたたり、結核で倒れだ。志望と違った高校に進んで、当時ブームだっだフォークソングを始めた。

□  □  □  □  □  □  □  □  □  □  □  □


 小学校から日本名「西山博」で通しでいた趙さんを変えたのは、ある事件がきっかけだった。神戸外語大で学生運動に身を投じ、他のセクトと対立しでいた2年の夏。夜道で屈強な男だちに襲われれた。車に乗せられ連れ込まれた所で、「お前、朝鮮人やと分かっでるぞ」と脅された。
 自分の中のわだかまり、弱さを突かれ、吹っ切れた。本名を名乗り、ルーツを知りたいと、民族音楽を始め、若者のグルーブで公演に回った。
 大学院修了後、予備校で英語を教えながら、障害者や沖縄、同和間題にかかわり始めた。いろいろな人と出会い、負い目だった日本人でないこと、マイノリティーであることに誇りを感じるようになった。
 だが、公演を続けるうち疑間が芽生えた。「民族衣装が珍しいから拍手してくれる。でも、これでええんか」 「日本で生まれた自分らのなんかがあるはず」と思い至ってグループをやめ、92年からオリジナル曲を作ってソロ活動を始めた。歌うのは、人の魂であり、やさしさであり、生きることの哀[カナ]しさだ。飲食店や公民館、学校などでのライブは、昨年100回を数えた。あんなに抜け出したかった西成が、今は心地よい。
 ライブが終わっでグラスを傾ける趙さんに、「エネルギーの源は」と尋ねたら、少し考えて、「この国に対する怒り、でしょうかね」。今は知人が評する「在日関西人」という呼び名を気に入っている。日本でも韓国でもなく、地域でさまざまな人が暮らす関西だ。
 客のテーブルには、鶏肉と餅米、ナツメや朝鮮ニンジンなどを3日間、トロトロに煮込んだ趙さん特製の韓国料理、サンゲタン。見た目は良くないが、調味料は使わない。趙さんの生き方は、そんな味わいがある。  【松井宏員・37歳】



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