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格言、論語、伝説、仏教用語、常套句、流行り言葉、立志伝中の人物評、etcエトセトラ…あれども、パギやんにかかれば、ひと皮ふた皮、目からウロコ。
さあ、みんなでよ〜考えてみよう。
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No.50【駄々っ子「首相」=日本近現代史最大の恥辱・羞恥・恥っさらし】
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辞任、辞職、退陣…表現は様々だが、安倍晋三の場合は<逃亡>が最も相応しい。「美しい国」「戦後レジュームからの脱却」「再チャレンジ」などどいう美辞麗句は、およそ政策的に熟慮された代物ではなく、要するに「憲法9条を廃して戦争の出来る国にする」という本音を熨斗紙に包んで、隠していたにすぎない▲五二年の人生の中で「責任を取る」ということを、この男は経験したことがないのだろう。いや、そもそも「己の言動には責任をとらねばならない」という躾を受けたことがなかったのだろう。輝かしい家系と周囲の配慮に守られながら「しっかり・全力で頑張る」ことは教えられた。しかし、何をどのように頑張るのかを、彼の頭脳が思考したことは一度たりともないはずだ。自分はサラブレッドで常に正しいという確信は、哀れにも、一度選挙に負けただけで瓦解した。晋三は、生まれた初めて「悩んだ」に違いない▲愚にも付かない言辞を弄し万人に恥をさらして逃亡した安倍晋三は、「だって…みんな僕の言うこと聞いてくれないんだもん」と癇癪を起こして駄々をこねるガキに等しい。今こそ私は、子どもたちに大声で教えたい!「安倍晋三みたいな人間になっちゃいけないよ〜」って。▲♪美しい国、しっかりやるわ。お願い、お願い、捨てないで…てなこと言われてその気になって/首相にしたのが大間違い/内政・外交まるでダメ/軍事オタクは三人前/一度選挙で負けたなら/プイと出たきり…ハイそれまぁでぇよ〜/ふざけやがって・ふざけやがって・ふざけやがって・ふざけやがって、コノ野郎!♪▲つまり、「美しい国」は嘘だったって、事故暴露したワケね(笑)。 (2007.9.30 記)
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No.49 【 いざゆけ・つわもの・にっぽんだんじぃ〜】
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「女は子供を産む機械」だと発言した大臣を、首相が「十分反省しているから」と庇う。オヤジ政治屋とでも形容したくなるようなこの種の差別者は、「己は日本男児である」と自覚しているに違いない。「いざ行け/強者/日本男児」と軍歌で囃し立てて侵略戦争を美化した歴史など、オヤジ政治家ドモの脳細胞の片隅にも自覚されてはいない▲家柄・血統・権威(力)の継承を男子に限るという貴族趣味は、一向に費え去る兆しがない。「産む性」に限定する女性観は俗情と結託している。だから、フェミニズムが私たちに突きつけた告発「なぜ男が女より偉いのか、証明してみろ!」は、この世界が男社会であり続ける限り、半永久的に有効だ▲『クライング・フリーマン』という漫画に「百八竜」という香港の「班(パン)組織」が登場する。皇太后格の虎母(フーモー)は「血の継承は組織の腐敗を招く」と、孫娘の白牙扇(ベーヤーサン)が首領になることを命がけで阻止した▲世論は柳沢の妄言を「女性の立場を無視している」「少子化対策に逆行する」という批判のみを繰り返しているが、「女は子供を産む機械」の手本・根本はこの国の天皇制ではないか。男児世襲を賛美する俗情に如何ばかりの批判力があるのか、甚だ疑問だ。安倍も正日もブッシュも、虎母に学べ! (2007.3.)
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昨年11月、灰谷健次郎さんが逝ってしまった。2004年12月に食道ガンの大手術を受けて恢復に向かっていたのに…去年の春、再発・転移がわかって、秋にはホスピスに移られた。覚悟の死だった。「挨拶」も用意されていた。死後一週問して届いた葉書には「学んできたとおりに生涯を終えたい。精一杯生き、人を愛し、また多くの人のに愛されてきた人生に、何一つ悔いはありません。一足お先に、感謝を込めて」とあった▲出来る子、できない子、遅い子、早い子、いい子、わるい子…大人はすぐ子供を分類したがる。そうではない、それは大人の傲慢であ、差別教育の結果だ、と灰谷さんは訴えた。こどもに教えられる教師でありたい、こどもとともに生きる親でありたい、こどもを計らない大人でありたい。灰谷さんの【優しさ】は祈りでもあった。その【優しさ】は、誤解もされた。「灰谷は児童中心主義でで甘い」「優しさまとめて花いちもんめにずぎない」と。灰谷さんの【優しさ】の裏には「生」につながるた<さんの「死」がある。それを論じた評論家はすくない▲日本の学校教育は優しさをかなぐり捨てて、子供を地獄に落とそうとしている。灰谷文学の発展とその精神の継承は、私たちの急務だ。 (2007.1 記)
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広島の山奥にある「ひとは作業所」に初めて行ったのは2002年の春。たくさんの子どもたち大人達が歓迎してくれて、いきなり「パギやんが歌います」ときた。旅の衣を解く暇もなく、僕は歌う羽目になった。僕の歌を初めて聞いてくれたのに、全員がオッカケ・ファンのように、のりのりに乗っている▲栗栖晶さんの二十歳記念に出された詩集『ぼくはてんさいかのう』(径書房/1995年)を頂いた。「おかあさんがなきました/ふろばでなきました/ぼくのことでなきました/ぼくはあたまがええから すぐにわかりました/おかあさん くらいかていはやめんさい」晶さんの名刺には「雲や花や動物と語り合う自然派詩人」とある。広島弁の心地よい響きの中に自然と人文がみごとに融けこんでいて、読む人すべてを幸せにする▲「こんな辺鄙なところに作業所を構えられたのは、やはり町中の差別故ですか?」と訊くと「僕は障がい者と農的生活の繋がりを求めとるんじゃ。田舎暮らしを楽しみたいけぇー」と所長の寺尾さんは応えた。…僕は、己の浅はかさに恥じ入った。「ひとは作業所の歌」の最後、♪あ・な・た・が・い・な・い・と・<ひ・と・は>は・つ・ぶ・れ・ま〜・す〜♪。抱腹絶倒! (2006.12 記)
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「応益」というニホンゴ、『広辞苑(第五版)』には載ってないのにパソコンの漢字変換ではすぐ出てくるから、新語なのか?応益負担とは、所得の高低や能力には関係なく費用の何割かを当該個人に負担させる方法。一方、応能負担は、負担能力のない者には税金や社会保険料を減免し、所得の高い者にはより高い負担率を課すことによって社会的再配分機能を期す▲受益者負担主義のアメが「応能」で、ムチが「応益」だ。福祉・教育政策の対象者をおしなべて「受益者」と定義する背景には「厄介者を養ってやっている」「教育・福祉は非生産的分野」というホンネがある。しかし「福祉」の第一義は幸福であって、公的扶助やサービスによる生活の安定、時には、命の救いや繁栄も意味する。「応益」とは「受ける利益に応じて」の意なのだろうが、福祉(=幸福)が「受益」か?!欺瞞的悪意に充ち満ちたニホンゴ、それが「応益」だ▲介護保険制度は「福祉ビジネス化」の基礎になった。その基礎の上で、「障害者自立支援法」が謳う応益負担主義と障害程度の区分認定によって、障がい者の命が数量化され「福祉というビジネスに馴染まない者は死ね」という…暮らしを破壊される前に「自立法」を潰す! ('06.11)
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9月1日は全国的に「防災の日」である。1923(大正12)年のこの日に起きた関東大震災の教訓を忘れない、という意味と、この時期に多い台風への心構えの意味も含めて1960(昭和35)年に制定された。関東大震災で六千人余の在日朝鮮人が「自警団」と称する日本人に虐殺された史実は、あまり語られない。いや「防災」の言葉の裏に意図的に隠されているといっても過言ではない▲「十五円五十銭」と言わせて、濁音の発音がおかしいと「お前は朝鮮人だろ!」と識別した。劇作家の故・千田是也[センダコレヤ]は東北出身者で、千駄ヶ谷で朝鮮人[コレヤン]に間違えられて殺されかけた。その体験と抗議をペンネームに込めた。共産党の指導者だった山田六左右衛門も同様の経験を持つ。その後、山田は大阪で朝鮮人労働者の組合作りに着手した▲震災当時、横浜鶴見の警察署長だった大川常吉は、自宅に逃げ込んできた三百人の朝鮮人をかばい、引き渡しを求める暴徒(自警団)にこう言った。「朝鮮人が井戸に毒を入れたというならその水を持ってこい。私が飲んで死んだら中にいる朝鮮人を好きにしろ。死ななかったら手を出すな。人の命を守るのが私の仕事だ。」常吉は死なず、三百人の命は守られた。 (2006年9月)
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No.44 【車いすのサックス奏者】
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滝川市在住のサックス奏者・渡部昭彦さんは、車いす歴十年。自家用車とフェリーで全国を駆け巡りながら、年間百回近くのライヴをこなしている。そのうち半分はボランティアで、「経費持ち出し」で演奏することも少なくない。それでも去年あたりから「収支トントン」になった▲27年前(33歳)に自暴自棄でバイク事故を起こし、九死に一生を得た。3年間の入院生活の後に再婚、松葉杖をつきながらライヴハウス経営で生活を立て直した。順風満帆…のはずだったのに「また悪い癖が出て」十年前に再び大事故に遭い、一年間入院して車いす生活に…茫然自失の毎日を過ごした▲七年前「障がい者と健常者が共に奏でるコンサート」を知り、出かけてみた。「こんな世界があったのか!」サックスを再び吹き始めた。「バンドマンの頃からやりたかった原爆ドーム前のライヴ」も実現した。自分が愛したサックスと、父の戦争体験を聞いて身に染みていた<平和への願い>を再発見した▲小豆島のファンと一緒に今年も「平和コンサート」を行う。「どうせ駄目だと諦めずに出かけてほしい、出かけたくても出かけられない人もいるんだから」渡辺さんは笑って言った。駄目男だった過去を振り返りながら…。 (2006年7月)
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那覇の国際通りから平和通りに入って壷屋方面に歩いていくと、希望ヶ丘公園が見える。丘に通じる坂に、小さな映画館『桜坂劇場』がある。ここは独立座館の老舗で、毎月一万人以上ものお客さんが足を運ぶという。『もっこす元気な愛』が上映されたのもここだ。▲映画「ホテル・ルワンダ」を観た。一九九四年アフリカのルワンダで起きた虐殺事件では、百日間に百万人が殺されたという。その史実と実在の人物を題材に、物語は展開していく。民族対立がエスカレートし、国連や西洋諸国はルワンダを見捨てる。高級ホテルの支配人・ポールは自分の家族を救おうと必死に努力するのだが、彼の勇気と知恵が、結果的には一二八〇人もの人々を救うことになる。絶望的な状況で、人は何を信じて、誰を頼りに生き抜けるのか…残酷な虐殺場面が続く中、人間の尊厳と命が尽く踏みにじられる。と同時に、人間の愛情と誇り、そして命の輝きがスクリーンに溢れる。▲その日は五月一五日、奇しくも沖縄が日本に「復帰」した記念日だった。「基地のない平和な沖縄を」の願いは踏みにじられたまま、三四年が経過した。ヤマト(日本)とウチナー(沖縄)の何処かで「ホテル・ルワンダ」は営業するだろうか? (2006. 6)
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愛国心が薄れているから犯罪が多発し、人を人とも思わない国になったのだそうだ。与党・自民党は教育基本法を「改正」し、「愛国心」を育てるという。しかし、創価学会を支持母体とする与党・公明党は「愛国心」に拒否反応を示す。初代代表・牧口常三郎が、不敬罪と治安維持法違反で逮捕され獄死した経緯があるからだ。それで、「国・郷土を愛する」という案でまとまったらしい▲竹内浩三は『骨のうたう』を詠んでフィリピンで戦死した。「戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ/遠い他国で ひょんと死ぬるや/ふるさとの風や/こいびとの眼や/ひょんと消ゆるや/国のため/大君のため/死んでしまうや/その心や/…」▲弁護士法違反で起訴され議員辞職勧告を受けても居直っている西村慎吾は言った。「近い将来、我が国は戦争を受けて立たねばならないこともあり得る。教育基本法の改正は、つまり、国のために死ぬ子どもを作ることである」▲自分の家族、友人、故郷を愛さない人がいるだろうか?その「愛」のために「敵を憎め」と教えるのが教育だろうか。戦争になったらどうする?ではなく、なぜ戦争は起きるのか、どうしたら戦争しないで暮らせるかを共に考える、それが教育だ。 (200)
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No.41 【国家の標準語は堕落する運命にあるのだ!】
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北海道、といっても隈無く歩いたわけではないが、札幌や旭川、網走などで人々の電話の会話を聞いていると「もしもし、○○さんですか?私××でした。ご無沙汰しております…」などというのを耳にする。「〜でした」という言い回しが、実に優しいのだ。「です」の過去形ではなく「呼び出し音が鳴って、誰かなと思ったでしょう?実はこの私だったんですよ〜」という意味。相手の動きを見守っていたかのような「時差を利用した謙り」が心地よい。▲九州も、全域くま無く歩いたわけではないが、福岡や大分、長崎などで「あのですね…」という間投詞をよく耳にする。「あの」+「ですね」などという丁寧形は、関西弁ではどうしても無理だ。▲謙譲語と尊敬語の用法や区別が現代日本語から急激に剥離・退化していることは、二言を要さない。客に向かって「以上で。」と言い放つ店員、「私のご質問に答えてないじゃないですか!」と怒る国会議員、はたまた、「患者様」という気持ち悪い言い回し…等々。▲近代の国民国家は、方言を蔑視し弾圧した。いま標準語が危機に瀕しているのは、その竹篦返しだろう。斉藤某が、いくら「美しい日本語を声に出して読もう」と啓蒙しても、「人間らしい言葉」は絶対に復ない。(2006年4月)
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卒業式と入学式のシーズンは、多くの教師や生徒達にとって希望に胸を膨らませる時に違いない。しかし「日の丸・君が代」が強制されるようになってからは、憂鬱な季節になってしまった。そもそも、国旗国歌法が制定された時、政府は「教育や生活の現場に強制するものではない」と断言したはずだ。ところが実際には、「日の丸を舞台の中央に、君が代伴奏はピアノで、全員起立して斉唱する」などと、事細かな「指導」が行われている。従わない教員は、職務命令違反ということで処分や懲戒の対象になる。なるほど、愛国心は恫喝と服従で成り立つのだという、この上なく立派な教育だ。▲良心の自由、内心の自由、言論の自由、表現の自由、学問の自由−−すべて、ほんの60年前まで、この国ではことごとく蹂躙され続けてきたのだ。民主主義は、還暦で葬られる運命なのか?▲先月、茨木のり子さんが逝ってしまった。『鄙ぶりの唄』という詩に「…/なぜ国歌など/ものものしくうたう必要がありましょう/おおかたは侵略の血でよごれ/腹黒の過去を隠しもちながら/口を拭って起立して/直立不動でうたわなければならないか/聞かなければならないか/私は立たない 坐っています/…」とある。 (23)
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関西の接客業界では、客は、一月「い(往・行)ぬ」、二月「にげ(逃)る」、三月「さ(去)る」と謂う。年末年始の繁忙期が過ぎれば不景気の波が襲うのだから、一時の実入りの良さにかまけずに常に覚悟して備えよ、という格言なのだろう▲「往・行ぬ」は近世後期に成立した動詞で、<行ってしまう・過ぎ去る・帰る・死ぬ・腐る>という意味で昔は広く使われたが、今は関西弁に残るのみ。関西弁には、「する」を罵ったり卑しむ表現として「さらす」がある。「帰り(行き)やがった」「死んじゃった」「腐っちまった」等は、「いにさらした」と言えばよい。「何をしやがるんだ!」は「そら、何さらすんぢゃ!」だ。したがって「何を言ってやがる!」は「何、言いさらす!」になるはずだが、「言いさらす」よりは「ぬ(吐)かす」の方が自然だから、「何ぬかす(んぢゃ)!」なのである▲小泉の後釜は、安部か福田か麻生か…?何かの賞レースでもあるまいに、マスコミは選択肢の幅を日々強要している。世論が意図的に形成され、真の論点が暈かされ、愚民の群れだけが再生産される。情報化社会とは、富と地位と権力を有する者たちの「情報独占」だったのだ。「何ぬかす、いにさらせ!」 ( 2006.2 )
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占いによると、戌年生まれの人は誠実で義理人情に厚く正義の味方。一方、お金には無頓着で清貧に甘んじる。大器晩成型で人望厚く、教育者・政治家に向く−−のだそうだ。▲犬の性格についての逸話には事欠かない。犬は安産の守り神、そして金銀財宝の象徴でもある。桃太郎や花咲爺さんに出てくる犬は、人間の忠実な家来で福をもたらし、そのイメージは忠犬ハチ公へと繋がる。子どもと一緒に育つペット犬はもちろん、盲導犬や介助犬は、犬が人間のよき友人であることを十二分に物語っている。▲一方、犬には悪いイメージもつきまとっている。「権力の犬」という表現があるように、強い者への媚び諂いを批判・揶揄する場合の喩えに「犬」を用いる。だから、盲導犬・介助犬・救助犬と猟犬・警察犬では、全く違った印象がある。さらに、軍犬にもなるドーベルマンは恐怖の印象しかないし、忍者漫画に出てくる忍犬には独特のペーソスが漂う。▲命令にあくまで忠実な盲導犬は、その命令が明らかに主人の危険に繋がると判断した場合、絶対に服従しない「賢い不服従」を不可欠の資質として有している。戌年の今年、犬のお世話になっている私たち人間は、盲導犬に学ぶべきではないだろうか? (2006.1
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No.37【ボランティア(volunteer)という言葉】
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ボランティア(volunteer)という言葉が一般に使われだしたのは、阪神・淡路大震災以降だろう。「善意で被災者を助ける人」「被災地で無償で働く」という意味で、ボランティア(名詞・人称)、ボランティアする(動詞)という日本語が定着した。ボランティアは、元々「志願兵」という意味だ。しかし、和製英語のボランティアには「無償」という感覚がつきまとうから、たとえば、自衛官は決してボランティアと称されない。▲「無償行為」「オマケ」「特別な計らい・気遣い」は、一昔前ならサービス(service)で表した。しかしサービスは、元々「勤労」や「公益事業」「官公庁業務」という意味だ。社会事業という日本語はSocial Servicesの訳語で、つまり、教育・福祉事業のこと。教育
や福祉が「無償・オマケ・特別」であっては堪らない…。▲金銭=下世話・無償=崇高、それが「善意」だいう俗情がある。「障害者自立支援法」は、善意俗情の産物だ。ボランティアは「ただ働き」という意味で社会にサービスするのは義務だ!と、強弁して憚らないのである。▲拝金主義が下世話なのであって、金銭を得ずして私たちは生きてはいけない。地獄への道は、善意で掃き清められている。 (2005.12)
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こうちゃんが小学5年生の時、運動会でクラス対抗リレーに出ました。1番ランナーがトップで疾走して2番ランナーのこうちゃんにバトンタッチ!ところが、こうちゃんは半周以上差をつれられてビリになりました。こうちゃんが3番ランナーにバトンを手渡したその瞬間、期せずして会場全体に歓声と拍手が沸き起こりました。運動会のあと、3番ランナーの子がこんな詩を書いたんです。▲こうちゃんが走った/ひとりで走った/4年生までは先生と走ってた/が、/今年はちがう/なんとひとりでがんばってた/こうちゃんは楽しそうに走ってた/こうちゃんからバトンがきた/ぼくは/必死でゴールまで走った▲小学校は障害児学級、中学校は普通学級で過ごしたみやちゃんは、9年間「全員リレー」に出続けました。中学3年の時、みやちゃんがアンカーをつとめました。それまでは中位だったクラスがあっというまにベッタ…。最後尾を堂々と走るみやちゃんにクラス全員が並走して、トップより思いっきり目立ってゴールイン、拍手喝采!今も、語り草になっています。▲「この子らのためにではなくともに」福井達雨さんの言葉を忘れません。ヒトには「共(友/伴/朋)」なる人が必要なんです。 (2005年11月)
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「自分をなぜ自分と言うの?」「自分とは大自然から分けていただいたいのち。食べ物も大自然からいただくいのちだ。そのいのちをどのくらいいただけばいいのかがわかる人が自分。自ずからなる取り分…万法に証せられたる自己のことだ。」と、無着成恭さんはお父さんから教えられたと言う。▲『山びこ学校』(無着成恭編、一九五一年)は、生活綴り方教育の成果として、日本の戦後教育史に今も燦然と輝いている。貧しくも逞しく生きる山村の子供達は、自分の日々の暮らしを文字で表現した。「私は/学校よりも/山がすきです/それでも/字が読めないと困ります。」「父と/兄が/山からかえってきて/どしっと/いろりにぶこんで/わらじをときはじめると/夜です」短い詩もあれば、文庫本で三〇ページにもおよぶ生活記録もある。生活を見つめ、皆で支え合う徹底したリアリズムは、まさに教育の素晴らしさを知らしめた。▲戦後民主教育は「自分」を考えることから出発した。自然と社会と歴史の交差点としての自己−−その自分は、けっして国家や権威に捧げるものではないことを教えようとした。今、現象から本質を掴み出すという教育本来の営みが、日本の学校から消えようとしている。 (2005.10
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衆議院選挙の結果は、やはり最悪であった。得票数が減っても自民党の圧勝。それなりに奮闘しても、社民・共産の議席は変わらない。小選挙区制度を阻止できなかったツケだ。村山社会党「政権」の祟りだ。選挙で日本が変わるという実感も予想も、ない。「小泉郵政解散」で「障害者自立支援法」や「共謀罪法」など極悪法案は、一応廃案になった。しかし、これとて短い「真夏の夜の夢」だ。▲おまけに、民主党の新代表・前原は松下政経塾出身の改憲論者。高市早苗ドモと同じ穴の狢である。ひょっとして、二大政党とは建前で「保守大連合」構想があるのではないか?つまり、今回の民主党人事は【大政翼賛・国家総動員】体制への布石と見た。舵取りが小泉であろうとなかろうと、強気を助け弱気を挫く非情政治は続く。民衆の怒りと悲しみが『力』にならない限り、ずっと…今回の選挙結果は、ワイマール憲法の下でヒットラーが政権を握った過程に酷似している。ファシズムまであと一歩、いや、半歩。▲八月十五日、韓国の釜山港からほど近い小高い丘にある『民主公園』に行った。緑豊かな一帯は下界より少し涼しく、市民の快適な憩いの場だ。そこに聳える白亜の殿堂には、民主主義の歴史が展示されている。植立運動と、解放後の分断・内戦・軍事独裁の半世紀を経て「人権と民主主義」を勝ち取った誇り高い民衆の闘いが、わかりやすく、じっくり見学・学習できる場だ。この展示を見ながら「お祖父ちゃんの時代はね、お母さんの頃はね、おまえの叔父さんが学生の時…」と、親が子供に語りかける場面に何度も出会った。▲自分の体験と言葉で民主主義の歴史と現状を語り継ぐ国と、何度選挙をやっても「民主主義」が実現しない国と、どちらが先進国なのだろう? (2005.9)
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六〇回目の八月十五日を迎える。終戦記念日という言い方が大勢だが、敗戦記念日と言うべきだと思う。「神国・日本は負けた」のだ。誰に、何故「負けた」のかを考え・忘れず・肝に銘じるべき「記念日」であるはずだ。▲敗戦は多くのニホンジンにとって「死からの解放」であった。「お国のため、天皇陛下のために死ぬ」ことが最上・最良・最高の美徳であった時代に、平和は、民衆の抵抗と努力で実現したのではない。広島と長崎を含む六十六の都市への空襲、沖縄での地上戦、三百万人の戦死者、四百五十万人の負傷者、そして、その数倍にも及ぶアジア太平洋地域の人々の死と、各地に残留した六五〇万人のニホンジン…六〇年前の八・一五は、日本を中心にアジアを地獄絵図に染めていた。▲敗戦国日本を占領したのは、アメリカ軍を中心とする連合国軍だった。この占領は、誰の目にも正当だった。何故か?戦争は、「大東亜の解放」という大義名分を掲げた日本が仕掛けたからである。▲「大博打、元も子もなくスッテンテン」これは、「満州」で自殺した甘粕大尉の辞世の句。仕掛けた者は、戦争に大義名分などないことをよく知っている。戦争とは、人の命を博打のカタに開催されるイベントに過ぎない。 (2005.8
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海原お浜・小浜という不世出の「おんな漫才師」がいた。叔母・姪コンビで一斉を風靡、オールドファンには忘れられないお二人である。小浜さんは今もご存命だが、お浜さんは二十数年前に亡くなった。今、テレビで活躍している上沼恵美子の師匠だと言えば若い人々にも話が繋がるだろうか?▲上方の「漫才」はハイカラの象徴であった。太夫・才蔵の三河万歳形式を大胆にデフォルメして、音楽を割愛し、あえて「しゃべくり」だけの話芸に仕立てたのが、花菱アチャコ・横山エンタツの名コンビ。寄席だけでなく、ラジオからも軽快な「漫才」が聞こえてきて、庶民の圧倒的支持を得た。若菜・一郎、捨丸・春代、ダイマル・ラケット、いとし・こいし、はんじ・けんじ、かしまし娘、唄子・啓助、やすし・きよし等々、彼らは都市中間層の希望や夢、挫折や不満を笑いと風刺、諧謔に昇華させて、己の芸を開花させた。上方の話芸は客が育てたのだ。▲海原お浜さんが、生前こう語っていた。「戦時中、ワテラも愛国お浜・小浜と、むりやり芸名を変えさせられましてん。殺生な…」テレビで遊んでいるだけで「漫才師」とは名ばかりのタレントとその贔屓連に、この言葉はどう響くだろうか?
(05.7.15)
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「半日デモ」が中国各地で起きている。日本人商店や日本領事館も襲撃された。日本のマスコミは、連日連夜「やりすぎだ。暴力はいけない、異常事態だ」と繰り返し報道している。「中国の反日教育が問題だ」「日本の真似をして経済成長したくせに」「日本には日本なりの歴史観がある」「政府・外務省は十分な対応をしていない」「内政干渉だ」云々▲小泉首相の靖国参拝、自衛隊の海外派遣と多国籍軍への参加、憲法改悪策動、日の丸・君が代強制、「竹島奪還」宣言、等々との関連を、マスコミはほとんど論じない。あるいは「日本ににも責任が無いとは言いませんが…」という言い方でぼかす。「私たちは正しい中国認識、正確なアジア観の確立のための教育に邁進してきました。中国の皆さん!日本国および日本人は、両国の友好関係を損なうような行為を、戦後六〇年間いっさいしておりません」と胸を張って言うマスコミは人は皆無だ▲この際、「邦人保護」の名目で自衛隊を中国へ派遣してはどうか?「軍隊ではありません、人道支援です。日中友好のためにやってきました」と、銃口を民衆に向けて言えばいいのだ。中国人民は「造反有理」を掲げて、再び抗日運動に立ち上がるだろう。
(05.6.15)
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尼崎のJR脱線事故の後、幹部や関係者が遊び興じていたことが批判されている。利益第一と安全軽視の姿勢も、槍玉に挙がっている。しかし忘れてはいませんか?十九年前、国鉄がJRに「分割民営化」されたとき、9万人以上が離職し自殺者は百人を超え、現在も一〇四七人の不採用者を「放置」していることを。JRという企業は、その誕生の前から人権無視・人命軽視のDNAを内包しているのだ。▲大阪市職員の厚遇が批判され、ヤミ退職金やヤミ組合専従の存在も槍玉に挙がっている。「民間では許されない」と怒りの声が大勢を占めている。しかし忘れてはいませんか?労働条件というものは、悪い方ではなくより良い方に合わせるべきだということを。▲JRの事故で明らかになったのは、民営化すればなんでも効率よく行くというのは幻想だということ。JRは民営化の優等生だと信じられてきたが、一〇七人の死者と四六〇名の負傷者の命が「そうではない」と教えてくれた。▲郵便局の民営化は地獄への一里塚で、巨悪に群がる利権屋だけが喜んでいる。忘れてはいませんか?通貨の製造についてもすでに民営化が進んでいる事実を!もっともこの場合、「偽札」という汚名を着せられるのだが…。▲皇室も民営化んじゃと、騒ぐことも無いぞ。
(05.5.15)
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美空ひばりの『雑草の歌』をご存じか?「生まれて今日まで耐えてきた こんな涙を誰が知る 踏まれながらに生き抜いて 路ばたにはえる草のような 強い女になりました」作曲は遠藤実。作詞は加藤和枝だが、これはひばり自身の本名だ。▲「私のこの体の中には/日本で生まれた古い血が流れています/そんな人間が少なくなった今日でも/おてんと様だけは/私を照らしてくれました」という台詞が歌の間に入る。「日本人の血」ではなく「日本で生まれた古い血」と、ひばりは表現した。▲美空ひばりの出自については、様々な噂があったし、今も時折話題にのぼる。父親は朝鮮人だとか、母親が被差別部落出身だったとか…しかし、その確証は一つもない。では、何故その「噂」がまことしやかに流布したのか?それはおそらく、彼女の歌に「誇り高き日本人」を肯定するような、あるいは、マジョリティの位相を称えるような趣がないからだろう。虐げられた者の悲哀や、苦労の中に見える希望、その人間讃歌が彼女の歌の核だったからだ。▲「一本の鉛筆があれば/8月6日の朝と書く/一本の鉛筆があれば/人間の命と私は書く」美空ひばりのメッセージは、マイノリティの視座と目線でこそ、響くのである。
(05.4.15)
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英語で表現すると何故「かっこいい」のか?女友達ではなくガールフレンド、入手するではなくゲットする、月賦ではなくクレジット等々…枚挙に遑がない。「メンバーのコンセンサスがとれないので、アクティヴなポリシーをオファーできなかった」こんな会話が企業社会でまかり通っている。「皆の同意がなされないので、積極的な方針を提起できなかった」と、どうして日本語で言えないのだろう?▲「カローラ」「アコード」「ファミリア」…車の名前も全て英語らしきカタカナだ。職業安定所は「ハローワーク」。イニシャル名も多い。JR、UFJ、NTT…極めつけはN(日本)H(放送)K(協会)。そのうち日本政府はJGとでも呼称するつもりだろうか。▲愛知県の美浜町と南知多町が合併して新市になり、その名称候補として「南セントレア市」という案が出された。中部国際空港の愛称が「セントレア」で、その南に位置するからだという。猛反発を喰らってその案は撤回されたが、どんな感性と発想があればこんな愚案を思つくのだろうか!▲横文字文化は危険だ。例えば、放送コードでは「めくら」は駄目で「ブラインド」ならOKなのである。断言する。カタカナや頭文字で差別はなくならない。
(05.3.15)
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<節分>に巻きずしを丸かじりするという「風習」は、バレンタインデーに女性が男性にチョコレートを贈るという「習慣」と同じくらい根拠がない。海苔業者とチョコレート会社の始めた宣伝が「風習・習慣」に化けて、人心を欺いているだけだ。▲今は、節分といえば立春(2月3日ごろ)の前日だけだが、本来は、季節の始まりを示す立春・立夏・立秋・立冬の前日、みな節分だ。節分の日には「福は内、鬼は外」といいながら炒り豆を撒いて無病息災を祈り、撒かれた豆を自分の歳の数だけ食べるという、昔ながらの風習がある。これは、穀物や果実に邪気を払う霊力があるという信仰の名残りだ。鰯の頭を焼いて柊に刺し戸口に刺しておく習慣も、臭いで邪気が寄りつかないようにするためだとか。でも、追い出された鬼はどうなる?▲ご心配なく。群馬県鬼石町は「全国から閉め出された鬼を迎えてくれる町」で、奈良県吉野・蔵王堂の節分会では「福は内、鬼も内」と唱える。可哀想な鬼を何とかして救う文化もあるのだ。それでも、鬼に襲われたらどうすればいい?▲その時は、来年の話をすればいい。「鬼の形相」が呵々大笑に変わる。これが鬼のセーフティ・ネットだ−−と言えばオーバーかな?
(05.2.15)
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干支になぜ「猫」がないか?一説によれば、釈迦が亡くなる前にお別れに来た動物が干支になったそうだ。到着した順序は、鼠(子)、牛(丑)、虎(寅)、兎(卯)、龍(辰)、蛇(巳)、馬(午)、羊(未)、猿(申)、鶏(酉)、犬(戌)、猪(亥)。それが十二支になったという。要するに、猫は仏陀の見舞いに行かなかったのだ。▲こんな珍説もある。神様が全ての動物に「元旦に挨拶に来た順に一番から十二番まで、それぞれを年の守り神にしてやる」とお触れを出した。猫が「いつ行ったらいいんだって?」と鼠に訊いたら「正月二日だよ」と嘘を教えてくれた。鼠は、元旦イの一番に挨拶に行って「干支がしら」になった。一方、二日の朝早く「一番乗り!」とばかりに神様に挨拶に行った猫は「日にちを間違えた粗忽者、ツラァ洗って出直してこい」と叱られた。だから、いまでも猫は顔を洗い、憎い鼠をとるのだそうだ。▲酉年の「酉」は、干支(十番目)・方角(西)・時刻(午後六時)・月(十月)・動物(鶏)に当てる。酉年生まれは「ばたばた貧乏」などと言うが、まったくの偏見である。今年は鳥の眼で、世間を俯瞰する年にしたい。鶏だって飛べるんだよ。知ってた?
(05.1.15)
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生まれて初めて、富士山の近くまで行った。山の高さよりも、裾野の広さに驚いた。新幹線の窓から見るだけでは、裾野の村や町で暮らしや富士五湖の豊かさは感じられないし、何よりも「裾野」という言葉は<狭さ>を醸すから不適当だ。富士山のてっぺんから駿河湾にいたるまで、すべてが「山と森の恵み」なのだ。頂には、もう雪が積もっていて、歌の通り、ほんとうに「頭を雲の上に出して」いる様は<生命の木>に喩えてもいい。▲その見事な富士を「日本一の山」と囃し立てるから、ウンザリする。「一」でも「二」でも「三」でもない、富士は富士じゃないか。序列を付けたがる悪い癖は、「優劣」でモノやヒトを測るイデオロギーに繋がってゆく。つまり、頂上だけを見ることしかしない人は「裾野」の恵みと豊かさを知らないのだ。▲海を守るためには山が豊かでなければならないことを、駿河湾の漁師さん達は長い経験で知っているという。人間が森を壊し、土砂や赤土ばかりが河を通って湾に流れ込むと、海が死ぬ−−つまり、母なる海を守るのは、まず「山」ということである。アイヌ語で「フチ」はお婆さんのことだから、フジは、実は「母の母」、つまり「フチ」なのかも知れない。
(04.12.15)
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「木を見て森を見ない」「森を見て木を見ない」−−認識の不完全さを表す言い方が沢山ある。鳥が空から俯瞰するような眼も持ちたいし、虫が這いつくばりながら塵も見落とさないような目もほしい。そうだ、他人がどうであれ、悠然・泰然と眼前の対象を見抜くような猫の目もほしい…けど「見えない」人はどうするの?▲「見えない」は、他人から見て「見えない」と思われているだけ。つまり、「見えない」と本人以外の人が定義しているに過ぎない。誤解する「見える人」が多いのだが、「見えない」は決して闇ではない。▲「触って美しい造形を目指す!」と宣言した友人がいた。人間の五感はそれそれが美の源泉だ。「見る」は、【視・聴・臭・味・触】全てに膠着できるから、面白い。
(04.11.15)
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アホさ加減というのは、「加減」があるから測りうる。小泉という、即時その存在をナカラシメムという衝動に私が駆られる、人間らしき言葉を喋り直立歩行する動物は、測りうる「加減」を有さない。「日本が侵略された時、国連は日本を守ってくれない。日本一国でも自国を守りきれない。だから、日米安保条約で、米国に守ってもらっている」のだそうだ。
俗称:日米安保条約、正式名称:日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(Treaty of mutual cooperation and security between Japan and the United States of America)の前文には、次のようにある。
日本国及びアメリカ合衆国は、両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済的な安定及び福祉の条件を助長することを希望し、国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、両国が国際連合憲章に定める個別的または集団的自衛の固有の権利を有しているを確認し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、
相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よって、次のとおり協定する。
こんなもの、絵空事であることは百も承知だ。沖縄を一瞥するだけで、樺美智子の死を思い起こすだけでよい。しかし、小泉という、即時その存在をナカラシメムという衝動に私が駆られる、人間らしき言葉を喋り直立歩行する動物は、この条約を読んだことすらないのではなかろうか?いや、読んだとしても、理解する能力はなかったのだろう。
「危機の扇動」も、此処まで来ればお笑いぐさだ。小泉という、即時その存在をナカラシメムという衝動に私が駆られる、人間らしき言葉を喋り直立歩行する動物は、「非行」に走る我が子をたしなめる母に対して「だって、お母さん、私のこと何も庇ってくればかったじゃない」とダダを捏ねるプチブル娘並みのエトスと知性だけは、有しているようだ。
小泉という、即時その存在をナカラシメムという衝動に私が駆られる、人間らしき言葉を喋り直立歩行する動物は、「オオカミが来た」と叫ぶ少年に己をidenfyすべきである。
ただし、その能力があれば、だが…。
ps. ここでの「母娘」の喩えは、ジェンダーの非対称性をことさら演出して書いたわけではありません。願わくば「男社会とその規範」を支える、共犯者としての「母娘」という意味で読んでいただければ、なお一層、筆者の意図はお汲みいただけるかと存じます。
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「ウエスト90センチ」というと、ほんとうは「西90センチ」なのである。日本語で二重母音を意識することはあまりないから、waist「腰・ウェイストゥ」がwest「西・ウエスト」になってしまうのも、まぁ無理はない。waistの同音異義語がwaste「無駄にする・浪費する」「廃棄物」である。こちらはさずがにウエストとはならない。核廃棄物nuclear wastesを「ニュークリア・ウエスト」なんて言えば、腰の辺りに劣化ウラン弾でも撃ち込まれそうで、気味が悪い。
コードという日本語もやっかいだ。電線はcord、符号・番号・暗号はcode、だから、デューク東郷のcode nameがゴルゴ13。和音のコードはchordで、「ドミソ」はC major chode。そういえば、日本の公教育でコード理論は教えないね。未だに「変ロ長調」なんて訳のわからない貴族趣味を教えてるんだろうな。
ダイヤという日本語も変で、なんとdiamondとdiagramの双方を指す。インターなんて、もっと滅茶苦茶だ。interchangeもinternationalも「インター」なんだから…因みにinterという動詞(後ろにアクセントがあって「インタアァァ」なんですけど)は「埋葬する」という意味なの。高速道路や労働者連帯で「inter埋葬」された日
にゃ、浮かばれないね。
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雪印食品に始まって、「食品衛生法違反」の偽装ラベル事件が多発・継続している。こうなると、消費者は何を信用していいか分からない。『羊頭狗肉』『看板に偽りあり』などというぐらいならまだ可愛げがあるが、「ラベル」という、どこから見ても中立をアピールする媒体に虚偽記載があるとすれば、たとえるなら造幣局が偽札を作るようなものだろう。夏目漱石が実は1万円だった――笑えない冗談になる。
事の発端は「狂牛病」対策の杜撰さである。「官」はモゴモゴと責任逃れが上手い。「ばれなかったらイインだ…文句がこなけりゃ幸いだ」とばかりに「民」は官僚化した! 今後「官民一体」はゴマカシと読むように、国語審議会が提言するだろう(?)?
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「別に毒を入れたわけじゃなく、ちょっと誤魔化しただけで…」食肉偽装ラベルの犯人どもは、こんな言い訳をして開き直るかもしれない。中身はどうであれ、外見さえ良ければイイというのはこの国の陋習で、偽装ラベル事件は、ひょっとすると文化的に根が深いかもしれない。中身がなくても「改革・改革」というだけで総理大臣も務まるのだから、言ってしまえば永田町全体が「偽装ラベル」だ。どうりで、君が代・日の丸という「ラベル」を子供達に張りさえすれば中身はどうでもよい…昨今の教育事情も「偽装ラベル」の論理で納得がいく。ものを作る誇り、人を育てる喜び――ラベルなんぞにゃ表れない「人間の光と熱」の賞味期限は、とっくに過ぎたとでも言うのか!?
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韓国語にも「日本語」が染み込んでいる例がたくさんあります。ほんの一例をあげると、「ハリコミ」は今や懐かしい「写植印画紙の張り込み」、「シタ」は版下、また助手や未熟練工のことも「シタ(sidaという発音)」といいます。「チラシ」「オデン」はそのまま「ちらし・おでん」。はたまた「カオ」は実力者で、これも日韓共通。「カオ・マダム」というと「人寄せパンダ」とか「呼びかけ人代表」の意味になるのがおかしい。因みに鍋焼きうどんは「ナンビ・うど〜ん」なんです!
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普段なにげなく使っているコトバ、たとえばバケツ。これは馬穴と漢字をあてるが、bucketという歴とした英語だ。画廊――これはギャラリー(gallery)、背広はロンドンのセルフィロー通りの仕立屋のスーツが一番いいから「セルフィロー」⇒セビロ(背広)となった次第。明治人は「音と意味」を漢字で一致させようと努力したんですな。imageを夢路などといったのもその類でおま。〈夢路いとし・喜味こいし〉という漫才の大看板が、如何にハイカラやったかお解りでしょ?
ところで、ハイカラは何語やろ???
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「ハイカラな着物でんなぁ」「あのひと趣味がハイカラやから…」なんて言いますが、はいから[ハイカラ]はhigh collar「高い襟」です。つまり、襟を正すということから、「上等の・洒落た・かっこいい」という意味を持つようになったわけです。漫画『ハイカラさんが通る』や、「ハイカラうどん」のハイカラは、まさに庶民のちょっとした「ええ格好」を示唆しています。因みに「ハイカラうどん」の具は、油揚げのきざみ…だけのような気がするけどね(どこがハイカラやねん?? あっ、素うどんよりちょっとマシっちゅうことか…)。
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小泉流「改革」――この「改革する」という日本語、英語にするのはかなりシンドイ。
reform, change, renew, innovate, revolutionize ....
小泉はこの国を reform できるやろうか?無理やね。彼がやってるのはrenewal[名詞] でしかない。みなさん、騙されてはいけません。「変える」の身と程度が重要なんです。もう一度「突っ込み」を練習しておきましょう。
「小泉はん、あんたの言うてはんのは
reform, change, renew, innovate, revolutionize ....
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日本人は宗教におおらかだとか…。たしかに、節句は元々道教の教えに基づいているし、お盆は仏教。クリスマスはキリスト教の「お祭り」のはずやのに、いまや日本では風物詩といってもよい。
キリストの生誕を祝った、舌の根も乾かぬうちに、元旦は神社に初詣。お屠蘇の酔いも冷めぬままに「えべっさん」参り――なんともはや、ええかげんなもので…。よく言えばおおらか、悪く言えば無原則でおまっ。
でも子どもらは幸せだ。クリスマスプレゼントにお年玉…一週間のうちに、嬉しいことが立て続けだ。その喜びの0.5%でいいから、アフガンの子どもたちに分けてほしい――日本人が宗教におおらかならば、イスラムにもおおらかであるべきだろう。
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米軍がアフガンで使っている主力ミサイルが「トマホーク」。これはレーガン時代に開発された小型で高性能なミサイルだ。80年代、東アジアにも全面的に配備しようとして、猛烈な反対運動が起こった。
しかし「トマホーク」も、今や旧時代のシロモノだ。一方、ゲリラ側にはスティンガーがある。これはハイテク兵器で、弾頭のセンサーが獲物を確実に追撃するのだ。スティンーを与えたのは…?
もちろんアメリカです。
今回の「正義の戦争」は、武器在庫一掃セールのような気がする…。しかし、核兵器だけは何があっても「在庫一掃」させたらあかん!
核兵器はいますぐ「廃棄処分」にせぇ。
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1980年のモスクワオリンピック参加を当時の「西側諸国」がボイコットしたのを覚えてまっか? ソ連のアフガン侵攻への抗議でした。
もちろん日本も不参加。レスリングの選手が「4年間がんばってきたのは何のためだったんだ!」と号泣していたのを思い出します。柔道の山下もこの大会に出ていれば金メダル確実だったけど「お国のために」出なかった。
さて、4年後のロサンジェルスオリンピックで山下は見事に優勝――したけど、八百長丸出しの試合。今からでもイイ、VTRを見てみよう。はっきりわかります、八百長だと言うことが。シドニーの篠原・誤審も非道いけど、山下の八百長は永遠に語り継がれなければならない。
因みにロス大会の開会に際して、レーガン大統領が「今、ソ連に空爆を開始した」というジョークを放送して顰蹙[ヒンシュク]を買ったのを覚えてますか? おっさん、当時から惚けてたんや。
因みに因みに、ブッシュはレーガン流でっせ。忘れなはんなや。
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母屋とかいて「オモヤ」と読みますが、母は韓国語で「オモニ」です。「お前パッチはいてんの?」などと言いますが、ズボンは韓国語でパヂです…。「あいつまだチョンガーやねん」のチョンガーは「総角」で、まさしく韓国語です。一番の「一」は韓国語でハナですが、「はなっから信じてない」の「はな」は「ハナ」でしょうかね?
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戦争したい人間は言葉まで変になるんですね。ブッシュ米国大統領が、最近の演説でこんなこと言うてはりまんねん。
All the people who love freedom have to join us.
自由を愛する全ての人は、我々(アメリカ)と行動を共にせねばならない。
freedom(自由)を愛する人間に対して have to(〜せなあかん)と言うんかい? 自由を愛する人は命令や強制を嫌悪するから「自由」なの。このボケ!おまえそれでもアメリカ人か? 英語勉強したんか?
恥を知れ、恥を…ブッシュ君、来週まで次の文を暗記しときなさい。
I say, "All the people who love freedom can suport neither terrorism nor US imperialism named Globaliization."
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昆布の消費量は、沖縄県がダントツ日本一。ところが沖縄では昆布はとれません。北海道でとれた昆布が沖縄に運ばれて、あの世界一長寿を可能にする沖縄料理の元になっているのですね。
アイヌ民族は古くから「交易」で近隣諸民族と人間らしい関係を作ってきたのです。廻船ルートが発達にともなって、アイヌ・モシリの昆布はいち早くウチナーにたどり着いたのです。ありふれた食材にも、営々と築かれた人間らしい人間関係の跡を見て取れます。
因みに、大阪の、ある塩昆布の商標は「蝦夷女(えびすめ)」。包装紙にムックリ(口琴)を奏でるピリカ・メノコ(若い美女)が描かれています。知ってた?
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アイヌ民族出身の北海道大学教授・知里真志保(ちり ましほ)は、幼い頃から天才と謳われた。彼は旧制室蘭中学から一高へ進学した。金田一京助の薫陶を受けて、書生として東京で暮らしながら、大学進学に備えていた。
ところが東京帝国大学の入試が終わったその日、彼は帰宅して、泣きながら金田一にこう言った。「先生、私はどうしてもあの歴史の試験問題に納得行かず、白紙で提出しました。アイヌ民族を真っ向から否定する歴史観に耐えきれなかったのです。私は不合格です。先生のご厚意に応えられず、ほんとうにすみません…。」
ところが知里は、席次3番の成績で見事に合格! 他教科は、すべて満点だった。かっこイイねぇ。
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北海道の先住民族・アイヌの人々は日本人のことを「シャモ」と呼びます。これは「ウェン・シサム(悪い隣人)」の訛ったものだといわれています。
因みにロシア人は「フレ・シサム(赤い隣人)」で、白人一般を指すようにもなりました。アイヌ語では外国人なんて表現はなく、「シサム」です。同胞は「ウタリ」。
シャモがシサムに戻る日は来るのでしょうか?
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札幌農学校(現・北海道大学)に招聘されたクラーク博士。誰でも知ってるこの御仁の銅像が、札幌市南部にある羊ヶ丘公園に立っている。お立ち台には例の、Boys, be ambitious! の言葉が彫られてある。
クラーク博士が農学校を去るとき、馬上から"Boys, be ambitious!"と学生たちに言葉をかけた。ある学生が同級生の新渡戸稲造に「今なんて言ったんだい?」と訊いた。秀才・新渡戸は「少年よ、大志を抱け――そう仰ったんだよ。」と応えた。すると、例の学生、「タイシって、どこの芸者だ?」…。
Boys, be ambitious!は「野郎ドモ、一旗揚げろよ!」という意味だ。ambitiousという形容詞には、「大志」などというイイ意味はなく、「野心を持っている」という意味。
新渡戸さん、5千円札で笑ってる場合じゃないのよ!!
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教科書問題がまた再燃していますが、頭の悪い大人たちが絶対に教えない、あるいは教えられない、または想像だにできないことはいっぱいあるのです。
たとえば「北海道」。北海道は日本(大和)
から見た場合、長く蝦夷地と称されていました。明治二年、天皇の命で「蝦夷地を北海道と改称し、無主の地に開拓使」が置かれました。開拓使は役所の名前で、後の北海道庁です。だから北海道に明治元年は無いのです。
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北海道はずっと日本の領土だと思いこんでいる人が多いと思いますが、北海道は元々【アイヌモシリ】です。アイヌ「人」モ「静かな」シリ「大地」という意味です。人間の静かな大地――なんという素敵な言葉でしょう。それを「無主の地」と勝手に決めたのは、当時の国際関係の反映です。ロシアに対して「ここは俺の土地だ」と言いたかったのです。先住民であるアイヌ民族からすれば、「売った覚えも貸した覚えもない」のです。日本政府は地代すら払ってません・・・。
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昔、お日さんとお月さん、そして雲さんが旅をしたそうな。宿屋に一泊して、翌朝出かけようとすると、お日さんとお月さんは雲さんが寝ている間に先に出てしまっていた。雲さんは「さすが、月日のたつのは早いわい」と言いましたとさ。もちろん、〈月日違い〉なのですが、掛詞として充分わかりますね。
それと同じような表現が「光陰」光と陰、つまり「日の明け暮れ」ですね。「光陰矢の如し」という言い方は英語にもあってTime flies.と謂います。この後ろに「矢の如し」like an arrowをつけるのは間違いで、いわば和製英語ですね。
Time flies like an arrow.自動翻訳ソフトで解析すると「時バエは矢が好きだ」と出たとか(大爆笑!)…何でもかんでも、単語を英語に置き換えりゃぁエエ、っちゅうもんやおまへんにゃさかいね(大阪弁は入力しにくいなぁ)。
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人間は「にんげん」とよむか「じんかん」と読むか?
人と人の間に人があ(い)る――この言葉は実に「本質」を言い表していますね。英語はhuman being「人的存在」、朝鮮(韓国)語はsalamで、これはsal-da「生きる・暮らす」というコトバに関係があります。
そうして比較してみると、「人間」ということばには、すでに「縁」が包み込まれているような気がして実に興味深いですね。
さて、北方の諸民族名であるアイヌ、ニブヒ、ウィルタ、サーメ、実はそれぞれのコトバで皆「人間」という意味なのです。因みに、「人間らしい人間(立派な人)」はアイヌ語で「アイヌ・ネノアン・アイヌ」というそうです。
日本人は「人間」を忘れて、人と人の間に「モノ・カネ」しか見てはいないでしょうか…?
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見知らぬ人と袖が触れあうのも宿縁、つまり前世や後世の「人の縁」だという、実にほのぼのとした民衆的仏教観が現れている言葉ですね。「多生」は「他生」とも書き、何度も生まれ変わってこの世に生まれることを謂いますが「一殺多生」などという、ちょっと恐い表現にも使います。
さてさて、この諺[コトワザ]をば「袖触れあうも多少の縁」と思ってらっしゃる人はいませんか? 斯く言う私も小学校でT先生からそのように教えられました。「人は皆繋がっている、礼儀作法や挨拶を大切に、人は敬えという教えだ」と…ちゃうねんけどね....。
「縁」は存在の根本です。この世にあるものはそれぞれの存在の意味が響き合っているのだ――シッダルターがブッダになる直前、あるスードラ(奴隷)のおかげで彼は気づくのです。「縁(えにし)」とは人間くさいコトバ。けっして「宿命」ではないのです。
(「わくわくマガジン」2001年2月20日発行第29号)
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有名な『般若心経』の一節。唐時代の玄奘[ゲンジョウ]訳の漢語文が、私たちには一番馴染み深いですね。「色すなわちそれ空なり、空すなわちそれ色なり」・・・なんのこっちゃ?
「色」とは存在・在るモノ・実体・有形の意味です。「空」は不存在・無いモノ・虚像・無形の意味です。あるものはすぐなくなる、ないものはすぐあわられる――無常観がこれです。平家物語に出てくる「盛者必衰の理[コトワリ]」。今の世の中は「見えるモノ」が幅を利かせて「見えない素敵なモノ」を見ようとする努力をせせら笑いますね。そのうち仏罰が下るでしょう。
因みに「色気」とは、色、すなわち「肉体」に転じて、女性の魅力を意味するようになってできたコトバです。スケベ心にも、仏さんはちゃんといてはります。
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