日々の喜怒哀楽を綴ります。

村山槐多に逢う。

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岡崎市立美術博物館で『村山槐多の全貌』を観る。「なんでも鑑定団」に出された彼の絵に3000万円の値が付いた。それ以来、この夭折した詩人画家が気になっていた。企画は、学芸員の思い入れと気迫に満ち、濃厚で精密、かつ豪華な内容だった。
槐多に取り憑いた「絵」は魔物だ。その魔物と格闘し、病を得た彼は、それに乗じて自死したのだ。彼の死に「壮絶」という解説が付けられていたが、誤りである。槐多の死は、大正デモクラシーの時代が終焉する序曲だった。デカダンスと放蕩が知識人や芸術家の「価値」とされた時代、その中で彼も渦巻いていたのだ。槐多の死は、多くの作品の中に予言されている。絵と詩が彼を蝕み、その作品群は、やがては、破滅へと導く一里塚だった。
槐多は、己の命を削ったのではない。命を放棄したから、彼は書き、描くことができたのである。今、彼の全貌が明らかになったことの必然について、僕自身が読み込みすぎていることは、重々承知之介…。

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