日々の喜怒哀楽を綴ります。

『迷宮』

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大西巨人『迷宮』を読む。
1995年の作品…不覚にも、その存在を今日まで知らずにいた。
「あの世が存在しないということを受け入れた上でどんなふうにして宗教的心性を復興樹立するか、真の問題だ。」と、主人公(故人)は言う。彼の死は、他殺か自殺か、はたまた病死か事故死か…。
マルセ太郎は生前「俺は、自分の芸を誰よりも上手に解説できる」と言っていた。この言葉は、大西巨人にそのまま当てはまる。彼は「自分の小説を誰よりも上手に解説できる」作家だろう。曰く、『迷宮』は「人生と死との社会的にして存在論的な・今日的にして永遠的な主題の孤軍独行的な追求である」。
凡庸な読者である俺は、阪神淡路大震災から東日本原発震災までの16年間+約2年という時空において、この作品は「舌骨」の地位を占めていたのだと断じた。しかし、それでかの解説の意味が判明したわけでは、全くない。本作品が推理小説、あるいはミステリー(しかも「珍妙・下品・物欲しげ」な俗物でないそれ)である所以である。だから、「ワースト・セラー」だったのだ。

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