日々の喜怒哀楽を綴ります。

川田龍平さんへ

川田龍平さん、私は東京都小平市立小平第二中学校の卒業生です。我らが小平二中は有名人も何人か輩出しています。プロ野球北海道日本ハムファイターズ監督の栗山英樹さん、バレーボール全日本の元選手である大林素子さん、反貧困運動家の湯浅誠さん、そしてあなたです。他の有名人卒業生同様、あなたのことも私は同じ学校から巣立った者として誇りに思ってきました。しかし、あなたの属するみんなの党が組織として特定秘密保護法案に対してほとんど意義を唱えることなくこの法案を衆議院で通過させたことで、この気持ちは揺らいでいます。
私があなたのことを初めて知ったのは、二中を卒業してだいぶ経った1995年秋のことでした。当時仙台にいた私は、宮城学院大学の大学祭へ別の講演会目当てで行った時、あなたの講演も聴きました。大学生だったあなたが、実名を明かして薬害エイズ訴訟の原告として活動し始めた頃の話です。血友病を抱えたあなたは非加熱血漿製剤の投与を受けてHIV保菌者となりました。そしてあなたは同じような薬害被害者が現れないよう、運動を始めたのでした。その決意を語るあなたはカッコよかった。
2007年、あなたは参議院議員選挙に初めて立候補し、当選しました。その時私はあなたに投票しました。あなたに投票する動機となったのはNHKでの討論番組を観たことでした。討論番組の出演者の一人は厚生労働省で医薬品審査に従事する審査官で、もう一人はあなたでした。その審査官はあなたをHIVに感染させた非加熱血漿製剤の輸入を認めた責任者でした。エイズの恐怖と闘っているあなたの問いに対して、審査官は「大人の現実」を振りかざして自分たち審査官を庇っていました。あなたを子供扱いする審査官を前にして、あなたの表情は怒りで歪んでいました。しかし、あなたの言葉は冷静を保っていました。そしてあなたの知り得た事実のすべてを語り、審査官への問いを続けていました。
「なんて強い奴だ。」
とその時私はあなたのことを思いました。そしてあなたが立候補することを発表した時、
「こいつに政治をやらせてみたい。」
と思ってあなたに一票を投じたのです。
先日、職場で同僚と雑談していて、特別秘密保護法のことが話題になりました。
「何で政治家はあんな治安維持法みたいなものを無理やり通そうとするんだろう。」
同僚は言いました。
「高級官僚がやりたいようにやるためでしょう。」
と私は答えました。その時私は、あなたが討論番組に出演した時、机に資料を文字通り山のように積み重ねていたことを思い出しました。あの時あなたが冷静に「敵」と向き合うことができたのは、あの資料から知った事実があったからでしょう。その事実は「知る権利」が曲がりなりにも国民に保証されていたから手にできたものではないのですか?
国家において、そこに住む人の命や人間性が本当の意味で守られるには、国民と官僚、国民と政治家の間にいい意味での緊張が保たれていなければなりません。その緊張を保つための道具が言論の自由であり、知る権利です。
仙台であの時、19歳のあなたは
「上からの命令で動くのではオウム真理教と一緒です。」
と言いました。また、
「薬害の問題と戦争責任の問題は根をひとつにした問題です。」
とも言いました。
ついにあなたが議席を持つ参議院で特定秘密保護法案の審議が始まりました。あの時の自分に恥じない行動をあなたが取ることを私たちは期待しています。
Kura-Kura Pagongより引用。)

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