日々の喜怒哀楽を綴ります。

田川建三、再読

ファイル 669-1.jpg

『イエスという男』1980年に購入した三一書房版は2,000円だった。増俸改訂版が出ているということを知って、旧版の塵を払ってみた。「歴史はイエスを抹殺した。しかし、そのあとを完全に消し去ることはできなかった。それで、今度はかかえ込んで骨抜きにしようとした。そしてそれは、一応見事に成功してしまった。大勢への反逆児が、暗殺されたり、抑圧による貧困の中で死んでいったりしたあと、体制は、その人物を偉人として誉めあげることによって、自分の秩序の中に組み込んでしまう。マルクスが社会科の教科書にのった時、もはやマルクスでなくなる、ということだ。こうしてイエスも、死んだあとで教組になった。抹殺と抱え込みは、だから、本来同じ趣旨のものである。キリスト教は、イエスの抹殺を継続するかかえ込みであって、決して、先駆者イエスの先駆性を成就した、というものではない。イエスは相変わらず成就されずに、先駆者として残り続けている。」(P.11)29年前の文章が、光り輝いて目に跳び込んできた。
田川の批判地平が共有されないからこそ、民衆はまたぞろインチキ宗教やファシストにだまされるのだ。根源的でない宗教批判は犬糞以下である。だから、大川隆法などどいうペテン師が跋扈する--宗教を以て尊厳を論ずる者たちよ、君はフォイエルバッハを読んだか?諸君は田川とどう対峙するのだ?--応えてほしい。俺は田川に私淑する。
田川建三のサイト

トラックバック一覧

コメント一覧