日々の喜怒哀楽を綴ります。

連帯のアピール(抄)

『大村入管被収容者を支える会』発足に際して

オオムラは、在日朝鮮人にとって地獄のような響きがあります。いや、それは昔のことで、40代以下の人々からは「何?」という反応が返ってくるはずです。時代は、オオムラを忘却の彼方へ追いやろうとしています。
帝国臣民から外国人へ--戦後の法的地位の変遷の裏には、常に「強制送還」という恫喝がありました。わたしは「特別永住者」ですが、その「資格」とは、外国人登録証の切り替えの際(昔は3年、今は5年ごと)にいちいち入管事務所に行って在留資格を更新しなくてイイヨ、という文言の言い換えに過ぎません。私はこの国で半世紀を生きてきましたが、その「生」は、3年、5年…の幾度に渡る積み重ねでしかありません。まるで、リボルビング払いを延々と続ける多重債務者のような時間の過ごし方を、生まれて今日までの50年間、強要されてきたわけです。
オオムラは、私の原点です。収容所に足を踏み入れたことがないだけで私たち「在日」の生活空間は、全てオオムラに繋がっています。
入国する外国人全ての指紋と写真を採取して、なんら波風の立たないニッポンおよびニッポンジン。
今こそ、<怒り>を組織するべきではないでしょうか?
差別の無いおおらかな「生」を謳歌できる日を夢見て、貴会の活動に敬意を表しつつ、大阪から連帯の挨拶を送ります。

唄う浪速の巨人・パギやん(趙博)
_________________________________

子どもの頃、悪いことをすると「オオムラ」に送るといわれていた。オオムラ収容所がどのようなところかを知るのに、時間はかからなかった。多くの同胞がここから、さらなる地獄に落ちていったからだ。
日本人以外、また、日本人の特権階級とつながっていない者にとって、オオムラに収容されることが絶望そのものであり、そして、その場は、日本社会と隔離された、「処刑場」そのものであった。彼らを支えることは、日本社会の恥部に向き合うことであり、その犯罪性をも、あばくことなのだと思う。
日本社会の再生のために、会の発足がどれほど大きな力になることか。隔離されている人たち、隔離を知らない人たちが、やっとつながることが出来る。
闘いはこれからだ、と自分自身に声をかけた。
一緒に変えていきましょう。

TRAI(被差別日系研究所)研究員 辛淑玉