日々の喜怒哀楽を綴ります。

社会運動顕彰塔

ファイル 794-1.jpg

松下[マネシタ]幸之助と堺屋[サカ嫌]太一肝いりの「大阪城築城四百年祭り(1982年)」の記念でできた「大阪城公園駅」を降りて、立派な歩道橋を渡ると、大阪城公園内東北部の一角に塔がある。その「由来説明」には「この顕彰塔は日本民族の真の歴史を創造した、労働者・農民らが幾世紀にわたり、支配の圧政に抗して生活と権利を守り、社会解放をめざして闘いつづける歴史の塔であります。/有史以来敗戦まで支配者は自由・平等・解放をねがいもとめる民衆のあらゆる社会解放運動を反逆者・国賊とそしり、弾圧してきました。先駆者達はその激しい嵐の道を身命を駆けて、窮迫に耐え、抵抗し闘い抜き、ために多くの先駆者は拷問、奸計により獄死・病没し雄志むなしく犠牲となりました。/その貴い偉大な功績を顕彰し、その崇高な遺志を伝承、後続世代のわれわれが、大衆とともに真の自由・解放・平和をめざして闘い進むことを宣誓する塔であります。/この塔は1960年大阪地方統一メーデー大会で決議され、1966年全大阪の労働者・農民・革新政党・民主団体が有識・有志の協力のもとに結集し、その拠金によって建設され、1970年11月施行・序幕祭典し、以来毎年10月15日合祀祭典を挙行します。/1970年11月27日 大阪社会運動顕彰塔建設委員会」とある。塔の施行は大林組で、同社は常に権力の側にあって公共工事や戦争で利潤追求してきた企業だから、いささか歴史の皮肉を感じざるを得ないが…。塔内には、顕彰された人名札がずらりと並んでおり、その中に金文準と趙夢九、二人の朝鮮人の名があることを知る人は少ない。どちらも済州島出身で、戦前の労働組合や共産党の活動家だった。金文準は朝鮮語の新聞『民衆日報』の発行人でもあり、大阪の在日朝鮮人運動に大きな足跡を残した人だ。昨年亡くなった我が師・鈴木祥造も、この塔内で顕彰されている。大阪城ホールや太陽の広場などでは毎日のように楽しいイベントが繰り広げられて、この顕彰塔は等閑視された格好である。ほんまの"大阪らしさ"、アンタ知ってるか?