雨の降る品川駅

「雨の降る品川駅」中野重治
辛よ さようなら
金よ さようなら
君らは雨の降る品川駅から乗車する
李よ さようなら
も一人の李よ さようなら
君らは君らの父母の国にかえる
君らの国の川はさむい冬に凍る
君らの叛逆する心はわかれの一瞬に凍る
海は夕ぐれのなかに海鳴りの声をたかめる
鳩は雨にぬれて車庫の屋根からまいおりる
君らは雨にぬれて君らを追う日本天皇を思い出す
君らは雨にぬれて 髭 眼鏡 猫背の彼を思い出す
ふりしぶく雨のなかに緑のシグナルはあがる
ふりしぶく雨のなかに君らの瞳はとがる
雨は敷石にそそぎ暗い海面におちかかる
雨は君らの熱い頬にきえる
君らのくろい影は改札口をよぎる
君らの白いモスソは歩廊の闇にひるがえる
シグナルは色をかえる
君らは乗りこむ
君らは出発する
君らは去る
さようなら 辛
さようなら 金
さようなら 李
さようなら 女の李
行つてあのかたい 厚い なめらかな氷をたたきわれ
ながく堰かれていた水をしてほとばしらしめよ
日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾
さようなら
報復の歓喜に泣きわらう日まで
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この詩は、1928(昭和3)年、裕仁"御大典"時の情景である。中野は晩年に「日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾」という部分が余りにも階級主義的だったと反省の弁を述べているが、僕はそうは思わない。大日本帝国本国に於いて、在日朝鮮人の労働運動と独立運動は、まさに「日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾」だったのである。日本プロレタリアートは、残念ながらその事実にさえ気付いていなかった…歴史的評価は、未だ確定していない。
明日、品川へ行くので、久々に思い出した次第である。


