日々の喜怒哀楽を綴ります。

追悼・上田馬之助

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"まだら狼"コト、上田馬之助が昨年末に逝った。黒と赤のツートンカラー・タイツはグレート東郷や力道山の時代の継承を、そして、脱色した金髪と黒髭は「ジャップ役」を見事に演じたことを遺憾無く象徴していた。彼は6~70年代にアメリカで転戦し、その間、古巣の日本プロレスが崩壊。その後は、「全日・新日」両マットで暴れまくり、最後はNOWやIWAといったインディーズでも試合を続けた。
彼がヒールぶりをいかんなく発揮したのは、猪木との「釘盤デスマッチ」(77年?)だ。テレビ放映された同戦は、素人が見ても八百長丸出しだった。ところが、猪木が最後に上田の腕を本当に折ってしまった(実際は肩脱臼)のである。盟友(といっても、二人は事あるごとに抗争を繰り広げたが)タイガー・ジェット・シンが悲壮な表情でタオルを投げ入れ、馬之助は怒り狂った。この場面は「力道山vs木村政彦」戦同様、日本プロレス史上に特筆されるべき「情景」である。その後、猪木は異種格闘技戦でこの「アームブリーカー」を多用するようになる。
馬之助は、フレッド・ブラッシーを己の「写し絵」にしていた。凶器攻撃や噛み付きで相手の額を割り、その流血を舐める姿はまさに狂気…ぞっとするプロ根性である。しかし、彼は単に悪役を演じていたわけではない。前田日明のキックを真正面と頭部に2発受けても倒れなかったタフさに、観客は響めいた。彼が何回かチャンピオンの座についたのも、実力の裏打ちがあってのことだ。
G馬場やA猪木がエリートなら、上田は完全に二軍(脇役)で、常にメインストリームの動向に我が身を合わせ、その流れの中で己の地位を築いていったのである。しかし、上田馬之助こそ「本家食い」の名人だった。「主流」は、上田の存在を無視できず、利用しつつも逆に利用され続けた。本家が馬之助の「流れ」に染まる…この「写し絵」効果こそ、馬之助の真骨頂、一流ヒールの一流たる所以である。無知・無能・無様を地で行く大仁田厚(元自民党国会議員)などという俗物レスラーと比較してみればよい。
1・2の三四郎に登場する桜五郎は、全く以て馬之助のキャラだ。また、三四郎の盟友でストロング・スタイルの実力派「西上馬之助」にその名が冠されている。この見事なコノテーション作戦を見よ!--作者・小林まことに、あらためて敬意を表する。
適わぬ夢だが、グレート・ムタと上田馬之助のセメントマッチが観てみたかった…。戦後民主主義をせせら笑い、平和ぼけと予定調和を破壊したアナーキスト上田馬之助、万歳!
・YouTube「男は馬之助」