日々の喜怒哀楽を綴ります。

「本土復帰」40年…

復帰四〇年の節目に反問する◎大田昌秀
■二つの疑問
沖縄の施政権が米政府から日本政府に返されて四〇年の重要な節目迎え、沖縄の多くの人たちは二つの疑問にとりつかれている。
一つは「沖縄の日本復帰とは何だったのか」というもの。もう一つは「一体日本にとって沖縄とは何なのか」という疑問だ。これら二つの疑問は、沖縄が一六〇九年の薩摩の琉球侵略以来、明治の琉球処分を経て今に至るまで、日本本土から問断なく構造的差別をされてきたとの認識に発している。それだけに、沖縄の人々にとっては深刻きわまる問い掛けである。
ちなみに沖縄の人々が構造的差別を受けていると考えるのは何故か。一例は、日本の国会には衆参合わせて七一二人の国会議員がいるが、沖縄選出の議員はわずか八人。したがって圧倒的多数を占める他都道府県選出の議員が、MVオスプレイ配備問題を含めいわゆる「沖縄問題」を自らの問題として解決に取り組んでくれたら問題はなくなる。が、そうはせず、常に対岸の火事視をして手を貸そうとさえしない。その結果、皮肉にも最善の政治制度といわれる民主主義の名において、沖縄がいつまでも差別される構造ができているのだ。言うまでもなく民主主義は多数決原理で成り立っているからだ。
■「復帰」とは何だったのか
沖縄戦の開始以来、沖縄の人々は、日本から切り離され、二七年間も米軍の直接占領下に置かれた。それだけに切実に平和憲法の下への復帰を渇望した。それにも拘らず、実際には日米安条約の下に返されてしまった。あまつさえ政府は日米安保条約は国益に適うと強調して止まないが、他の都道府県の多くはその負担を一切、分かち合おうとはしない。狭小な沖縄に過重に負担させて平然としている。こうして日米安保条約は沖縄の犠牲の上に成り立っているのだ。在日米軍専用施設の七四%がこの小さな島に集中しているのみは、空域の四〇%も二九カ所の港湾(水域)も今以て異国軍隊の管理下にあるではないか。 沖縄県の調査によると、一九七二年の復帰時から二〇一一年までに米軍構成員が犯した犯罪件数は五七〇五件(検挙人員五六〇三人)を算え、そのうち殺人・強盗・放火・強姦などの凶悪犯は五〇四件(強姦が一一八件)を占める。同じく米構成員(ママ)による交通事故が二五八八件で死者七五人、負傷者二七一〇人を出している。さらに航空機関連事故が五〇六件、米軍演習による原野火災が五二〇件も発生している実情だ。
このように基地の存在は、憲法が保障する沖縄の人々の平和的生存権を守るどころか、日夜受忍の限界を超える爆音で生活を破壊し、生命さえも危険に晒しているのである。沖縄の人々が痛苦の思いで、復帰とは何だったのかと反問する理由だ。(以下、省略)
藤原書店PR誌『機』[2012.10]より抜粋。)