日々の喜怒哀楽を綴ります。

光州ビエンナーレ

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光州市立美術館の館長は、洪成潭の作品が展示されていない状況では開幕式に出席しないと表明。尹壯鉉光州市長も現れず、開幕式は伝統音楽の演奏と歌のみで終了。結局、8日の段階での光州市及び(財)光州ビエンナーレの発表は『セゥオル・オゥオル』の展示留保、その理由は「朴槿惠大統領の絵を修正しろと指示したのに、上から別の絵を貼り付けただけなので、根本的な修正になっていない」だった。特別展の総監督である尹凡牟氏は今回の事態について記者会見を開く予定。また、今回の展示に出品しているイ・ユニョプは、こんな展覧会に作品を展示することはできない、月曜日に作品を撤収する、と言っている。光州ビエンナーレ20周年を記念し「光州の精神展」と、銘打った今回の特別展であるが、光州民衆抗争がビエンナーレの原点ではなかったのか。光州の精神とは一体なんだったのか。洪成潭(ホン・ソンダム)は「光州は終わった。とても悲しい」と語った。
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洪成潭は「光州市民美術学校」の創立メンバーで、80年代「韓国版画運動」の旗手の一人。呉潤、李鳳俊、洪善雄、そして彼の作品などの巡回展示会を東京と大阪でやったのは1987年でした。それを韓国政府当局に「総連から金をもらった」とでっち上げられて、えらい騒動になったんです。裁判記録によると、僕は「北との連絡員」、神戸の飛田さんは「日本人協力者」、故・梁民基先生は「総連内部の確信的活動家」、梁官洙さん(現・大阪経法大教授)は「スパイの頭目」だそうです(笑)。版画はよく売れました(そりゃ、総連系の人も買ったくれたでしょうよ)。収益金は「韓国民衆美術協議会」に送金しましたので、当時の韓国民主化運動に微力とは言え寄与したと自負しています。『光州ビエンナーレ』は、運動圏の人間も一部巻き込まれた形で始まりました。歌手・鄭泰春さんが「融和主義だ」と憤慨してたのを、忘れようとしても忘れられません。(写真は『セゥオル・オゥオル』の原画)