日々の喜怒哀楽を綴ります。

訃報あり。

有田芳生さんの文章を全引用いたします。
大ショックです…合掌。
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再建全学連(1964年)委員長で民青同盟の中央常任委員を務め、のちに「新日和見事件」(1972年)で共産党の処分を受けた川上徹さんが1月2日に74歳で亡くなりました。昨1月24日に日本青年館で行われたお別れ会には約300人が出席。新聞に訃報が出なかったにも関わらず、これだけの人が川上さんを偲ぶために集まりました。さすがある時代のリーダーだったのだと会場の一隅に座り、ゆかり深かったひとたちの追悼を聞きながら、そう思ったものです。あれは特定秘密保護法が国会で可決されてしばらくしてからのこと。神保町の酒場「萱」のカウンターで川上さんがぼくにこう言いました。「戦後民主主義は終わったね」そう口に出してから「いや、戦後民主主義が消滅したんだ」と訂正したのです。「終わった」のではなく「消滅」。そこには「終わらせる」勢力への批判精神が込められていました。川上さんらしい表現です。そのときからさらに集団的自衛権の閣議決定など、多くの死者の犠牲によって形成された戦後の価値観はいまの首相とその周辺、および「日本国民の遠い責任」(戦犯として刑死した木村久夫)によって消滅させられつつあります。そんな情況にあって、戦後の青年学生運動のリーダーがこの世を去り、しかも東京オリンピックのために解体される日本青年館で偲ぶ会が開かれたことは、まさに象徴的だと思ったものです。ぼくと川上さんとのつき合いは37年に及びました。尊敬した上田耕一郎さんとは20年、川端治(山川暁夫)さんとは24年の交流で、川上さんとは1977年に就職で東京に出てくるころからいままでで、仕事よりもしばしば酒場での本音のつき合いでしたから、ひとしお感ずるものがあるのです。北朝鮮の拉致問題の評価をめぐって、しばらく途絶えた時期もありましたが、神保町「萱」で偶然会ったときに和解、それからは酒場での雑談が再開していました。さまざまな想い出があります。川上さんとぼくが日本共産党を離党したのは1990年のことです。川上さんは党を処分された古在由重さんの追悼集会を開いたことが罪状になりました。ぼくは『日本共産党への手紙』を出版したことが査問の理由でした。お互いに「自己批判書」を書かないことが決定的でした。あくまでも自分に正直でありたかったのです。もちろん自らの意志で決断したことです。川上さんが「新日和見主義」のレッテルを貼られたとき、「お別れ会」では、それまでの知人が道で出会っても川上さんに顔を背けたというエピソードを紹介したひとがいました。ぼくの経験と同じです。まだ査問を受けているときのことです。同じ職場の男性と党本部前ですれ違ったとき、あからさまに顔を背けたました。そのときの彼の表情をいまでも忘れはしません。神保町の路上では、いまでは幹部といわれる立場にいる女性から「労働者のことを考えたことがあるの!」と罵倒されたこともあります。いままでいちども一般社会での労働者経験がないのですから、いまから思えばまったくの笑い話です。書記局の幹部と羽田空港でばったり会ったことがあります。ごく普通に「どちらにいらしゃるんですか」と話しかけると強ばった表情で「行くところに行きます」と答えたことにも驚きました。こんな経験はごくわずかなものです。離党してからしばらくして思い出すことがあります。たしか川上さんが50歳代のことだったと記憶します。池袋の「おもろ」のカウンターで飲んでいるとき、「アリタ君、デルスウ・ウザーラを知っているかい」と言われたことがあります。「何ですかそれ、恐竜のことですか」と答えたのを覚えています。「馬鹿だねえ、君は、こんなことも知らないのか」そう言われました。『デルスウ・ウザーラ』とはアルセーニエフの著作で長谷川四郎が訳した著作で、ゴリド族の男の名前なのです。自然と人間を描いた傑作です。じつは川上さんは藤田省三さんの私的なゼミで、これまで知らなかった世界へと視野をぐんぐん広げつつあったのです。その一冊が『デルスウ・ウザーラ』でした。藤田さんから学んだことをぼくに伝えてくれたことは、川上さんとのつきあのなかでもっとも貴重な財産になっています。いかに狭い価値観のなかにいたのか。川上徹さん経由でしたが藤田省三さんの世界に少しでも接することができたことは、これからも深い意味を持ってくるのだと思います。ハンナ・アーレント、シュテファン・ツヴァイク、ミラン・クンデラ、コンラート・ローレンツ、カール・ポランニー、石原吉郎、中野重治、池明観などなど。それまでまったく知らない世界がぼくのなかでも少しづつ開かれていったのです。そしてもちろん藤田省三さんです。オウム事件当時、川上さんの紹介で藤田省三さんと対談する機会を設けてもらったことも、これまたいまや基調な宝となっています(『藤田省三対話集成3』みすず書房に収録)。想い出は尽きません。お別れ会で配られた冊子には奥様の川上蓉子さんによる「お礼のことば」があります。そこに2年ほどの「藤田省三ゼミ」を終えるとき、藤田さんが川上さんに言った内容が紹介されています。

「現代は世紀末。人類は滅んでいく。キミのやることは世紀末のルポルタージュ、それを書くことだ。書くための眼を養え。時間はないんだ。明るい未来を信じるなんて、もうキミは言わないよな。孤立すること。たった一人で考えること。僕のゼミでキミはよく勉強した。一応のことは教えた。相当の馬鹿だったということも身に染みて分かったはずだ。すべてから離脱しなさい。もちろん関わることもあるだろう。義を見て飛び込むこともあるだろう。だが離脱の自由を確保しておけ」

「すべてから離脱しなさい」という藤田省三さんの言葉は、「独りゆけ 花咲かぬ野を」と宣言する渡辺京二さんの思想にもつらなっているのです。この精神をこれからもじっくり噛みしめていこうと思います。そう「時間はないんだ」。