日々の喜怒哀楽を綴ります。

11年。

ファイル 3384-1.jpgファイル 3384-2.jpg

萱野茂が国会議員になったのは松本英一の死去による参議院比例区での繰り上げ当選だった。当時の社会党委員長は田邊誠で、私達萱野応援団は「アイヌ民族初の国会議員候補なんだから、名簿順位を1位にしろ」と何度も要請したのだが、結局11位指名だった。
社会党大阪府委員会も萱野選挙には全くやる気なしで、扇町のYWCAで開催した選挙演説会にも労組や解放同盟の動員はゼロだった。怒り心頭に発した私は、応援ライヴの途中で「松本!差別と闘うというのなら、順位を代わってやれ!」と吠えた。その時、大きな拍手をしてくれたのが、当時『解放新聞大阪版』の編集長・木野さん(故人)である。
ウタリ協会は、1986年「アイヌ新法制定」運動を提唱する際に、同和対策基本法を深く研究し、大いに参考としていた。部落解放運動の崩壊状況を見るにつけ、私は「萱野選挙」を思い出す。松本治一郎のナナヒカリで運動と政界に一時期君臨した松本英一は、本当にアイヌ差別を我が事として捉えたことがあったのだろうか?その息子、松本龍にいたっては、ここに名前を記すのも悍ましい。
松本英一が死んだ時、私は「カムイの天罰が下ったのだ」と心底思った。
偉大なニシパにしてエカシ、アイヌネノアンアイヌ、萱野茂が逝って11年である。(敬称略)
萱野茂さんの国会(参議院)内閣委員会での質問(全文)