日々の喜怒哀楽を綴ります。

どあほ!

あのな、何度でも言うたるけどな、『教育勅語にもええこと書いてある』と言うてるボケども、よう読めよ。
そう、『教育勅語』にもええこと書いてあるねん。その通り!親孝行せぇとか、みな仲良うせぇ、義務を果たせ、とかね。ほんでな、そいういう「ええこと」は、古今東西、人間の歴史あるところ、そこかしこに(どこでも・いつでも)書いてあるし、言われてきてん。お前らアホやから知らんやろうけど、ハムラビ法典にも、旧約聖書にも、コーランにも、阿弥陀経にも、皇国臣民の誓詞にも、毛沢東語録にも、法華経にも、女大学にも、歎異抄にも、軍人勅諭にも、アメリカ合衆国憲法にも、マグナカルタにも、共産党宣言にも、山口組綱領にも、モルモン教信仰箇条にも、大本教の教えにも、蓮如の御文にも、文部科学省の指導要録にも、町内の掲示板にも、JRのポスターにも、公共広告機構のCMにも…等々、∞∞∞、「ええこと」は書かれてある、あるいは言われてんねん。これを「道徳律」あるいは「徳目」と言うの。因みに「道徳の黄金律」って知ってるか?「盗むな・殺すな・嘘つくな」やねんけどね。こういうことを「歴史貫通的」と言うの。
さて、『教育勅語にもええこと書いてある』として、明治天皇が臣民に下し賜えた勅語を肯定・賞賛・礼賛するのは、その御稜威(お前ら、読めるか?)を称えてるわけや。せやろ、ちゃうか?勅語の持つ教育力は絶大やった。その国家主義的強制力を、お前らは褒め称えているわけや。やんな。明治23年から昭和20年にいたる半世紀以上の期間、教育勅語は大日本帝国臣民の教育的支柱であり、精神的模範やってん。解りやすく言うたら「大和魂」の素は、お前らが大好きな『教育勅語』や。日本の軍国主義の基礎であった勅語が絶大な威力を発揮した時代があった。これを「歴史規定的」と言うの。ほんでな「歴史規定的」やからこそ、戦争に負けて勅語は廃止・破棄されてん。衆参両院で、その謄本すら回収すると決議されたの。国家意志として、「歴史規定的」な勅語の時代は終焉してん。わかるか?「歴史貫通的」なものは、人間が人間である限り、社会が社会であるかぎり、否定されることはないねん。せやろ?教育勅語は「歴史規定的」な文言やったからこそ、否定され得てん。
ほんで、こっからがオッチャンの説教や。ええか、『教育勅語にもええこと書いてある』と言うてるボケどもよ。お前らな、教育勅語の「歴史貫通性」を証明してみぃ。ほんだら、オッチャンも『教育勅語にもええこと書いてある』と認めたるわ。できもせんくせ(実はできない、絶対に)に、真理を体現したようなツラさらすなよ。その前にな、お前らもっと勉強せぇ~よ。中一程度の学習内容でええから、ドタマをもうちょっと鍛えてからモノ言いや。それが「大人」や。
You should know better.
☆御名御璽☆
p.s. ネトリベ諸君も、ね(笑)。