日々の喜怒哀楽を綴ります。

名古屋へ

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真ん中の白い奴--
名古屋から新幹線に乗る。岐阜羽島を過ぎた頃、俺の左横の席で化粧しだしよった。香害!「匂いがキツイのでやめてください」と言うも、完全に無視された。その後、入念に髪の毛の手入れ。昨日あるいは今朝シャンプーしてないの丸わかり。超ミニスカートに黒のストッキング…何をか物語らむ。
コヤツ、京都で降りた。まだ香害は残る…男の俺が言う資格はないと知りつつ、言わせてもらいます。「あんた、男が描く女像に嵌り切って、それがあんたの人生か?」。
「その時代と社会に支配的なイデオロギーは支配者のイデオロギーである」(マルクス)。支配的イデオロギー染まった被差別者(マイノリティ)は、支配者以上に醜い!

馬鹿娘に57億円??????

イヴァンカ
要らんか
威張るな
이 년이가!

イカンか?
イラクか?
生駒か?
いぬんか?

이 런가?
遺産か
言わんか!
いね、バカ!

ナサケナイ…

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選挙終われば同じ穴の狢か?!
全閣僚再任、安倍晋三のほくそ笑み(怒!)。
ヤトウのフヌケ(怒!)(怒!)(怒!)。

10月23日朝に詠む

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☆民主主義 選挙で斃死 涙雨☆

要するに、何も変わっていないということ。社民党は「沖縄社民党」に鞍替えした方がいいし、共産党の「激減」は野党共闘のなんたるかを徹底して総括すべき事を物語っている。結局、小池・前原の策略が功を奏したじゃないか。立憲民主が野党第一党…何も響かない、なんたる軽さよ。辻元清美のほくそ笑みが、闇に不気味なだけだ。言わずもがな、「あらゆる歴史は階級闘争の歴史である」(マルクス)、つまり、選挙に勝つ為の努力が足りなかったのではなく、日々の階級闘争を放棄し、連合などと言う御用組合をのさばらし、沖縄・福島の「犠牲のシステム」(高橋哲哉)にのっかてきた罰(バチ)が「選挙に負けた」という結果なのである。
服部良一さん、その陣営(つまり、俺の同志・仲間)の皆さん!俺は「無理だ、無駄だ。選挙に出ること自体が誤りだ」と何度言ったことか。非国民の俺でさえ判ることが、ニホンコクミンのあなた達には、何時になったら判るのだろうか?あなた方に、杉並で立候補した中核派を笑う資格はないぞ。大阪の状況は「選挙」云々ではない--そこまで、我々大阪の左翼が貶められ、弱体化し、不甲斐ない存在に成り下がったことを、何故先ず総括しないのだ?
さて、科学とは一種の予見であって、選挙に勝つか勝てないか、科学的分析に基づいてある程度の予見と展望の元に行動が決定されることは言うまでもない。そこに「情熱」や「正義」や「良心」、はたまた、希望的観測など無用で、むしろ有害だ。ただし「負ける覚悟で出る」という啓蒙戦略もあり。しかし、今回、各地の野党統一候補は「必勝」でなければならなかったはずだろう。で、この為体だ。己が寄って立つ情勢分析も出来てなかった、つまり「非科学的であった」ということだ。俺が、立憲民主の「熱気」はシールズやファシズム政党のそれと同一だと言うのは、この三者に共通する「主観主義」=反科学性ゆえである。ましてや、社民党が沖縄以外で勝利するなど、どこをどう「主観的に」分析してもありうるわけがないではないか。村山政権の総括もせず、「自さ社」連立などと言う無様を演じきった者どもがファシズムと闘う??冗談も休み休み言ってほしい。
「選挙に出ない」という闘い方もある訳で、俺らのような「選挙権を剥奪された」者たちは、ずっとそう闘わざるを得なかったし、事実、そうしてきた。「一票か社会を変える」というブルジョア原則(=幻想)にズブズブに陥った報いがファシズムと戦争への道だった…ドイツの経験を持ち出すまでもなく、いま、この国で起こっていることは、まさにそれじゃないか。
今日はここまで…共産批判については、またの機会に。
さぁ、今日から(も)地獄を生きようかね(笑)。殺されてたまるか!!

【島 和博さんの投稿】
この国の「選挙」では必然的に貧乏人が自民・公明・維新・希望に投票する(投票させる)。やつらを自分たちの「代表」として認めてしまう(認めさせる)。それが「選挙」という(イデオロギー)装置の機能である。このことはとっくの昔にマルクスが指摘していたことだ。「選挙」はいわば「民意」を捏造する装置なのだ。だから、このような「選挙」によって貧乏人の「民意」が表出されることは決してありえない。もしもそういうことが起きるとすれば、それは「選挙」という装置に終止符を打つための「最後の選挙」においてのみだろう。
歴史上、「選挙」が到達した最高の地点はおそらくチリのアジェンデ「社会主義」政権だと思うのだが、しかし、この社会主義へと到達した「選挙」を可能にしたのは労働と生活の現場における「民衆の闘い」であったのであり、「選挙」はその「最後の」総仕上げ(確認作業)に過ぎなかった(これはグスマンの「チリの闘い」の第三部を観るとよくわかる)。この闘いの中でこそ民衆(貧乏人)の「本当の」民意が形成されるのであって、このような闘い抜きにアプリオリに民意などというものがあるのではない。
だから「民衆の闘い」が存在しない(組織化されていない)この国では「選挙」によって「民意」がやすやすと捏造されてしまうのだ(もちろんこの国でも沖縄のように苦しい闘いの結果としての民意が選挙の結果に現れている「例外」もあるが)。メディアや「風」によって捏造される「民意」に何の意味があるというのだ。だから、枝野新党(CDP)の「躍進」に最後の「希望」を見出している(らしい)自称「リベラル」の諸君もまた決定的に誤っている。CDPもまた闘い抜きの「民意」をアテにしているのであり、しかし、そんなものは虚妄にすぎない。「民衆の闘い」(の組織化)抜きの「民意」とは、ジジェク風にいえば、カフェイン抜きのコーヒーやアルコール抜きのビールと同様に、浮遊する「ミドル」のPC的な妄想・幻想にすぎない。左翼が目指すべきは常に民衆の闘いの組織化であり、それを通じての「本当の」民意(階級意識)の形成である。そして、そのような「本当の」民意に支えられた「最後の選挙」をこそ目指すべきなのだ。
このような宛先不明のメッセージ(戯言)に何の意味があるのだと徒労感を覚えつつも、それほど長くはないはずの残りの人生、僕もまた「地獄を生き」る覚悟はできているし、誰に遠慮はいるものか、「教条的な」罵詈雑言を吐き続けようと思っている。

呪殺!

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呪い殺すのは無罪(笑)。

非国民のぼやき…

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日本国有権者の皆様、ホンマにええんでっか?
よう、考えておくなはれや!

人民新聞・吠える!

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前原の裏切り前に原稿書いたから、論点ズレズレ…(泣;)。
けど、言いたいことは後半やねん。
リベラル市民諸君、クソガキども、刮目して読めよ!
説教に聞こえるやろうけどな、国家主義やナショナリズムに「個人の自由」だの「立憲民主主義」だの「小市民の正義」、つまり《コスモポリタニズム》を対置しても体制(=国家と資本/昔:帝国主義、あるいは「国独資」、今:グローバル資本)の「補完物」になるだけやねん。
明治一五〇年、戦後七二年も経ってんねんから、もうエエかげん学習せぇよ。
ついでに言うたろか。
思想闘争ちゅうんはな、このエエ子ちゃんズラした「小市民の正義」を己がいかに乗り越えるか、いうことぢゃ!
「希望の党」の出現は、このことをこそ我々に教えてるねん…わかるかなぁ…ワカンねぇだろうなぁ…。

安倍以上のワル・小池!

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急ごしらえ…センスも萎えるわ…。

☆『希望』替え歌
希望という名に まんまと騙され
遠い旅へと また汽車にのる
あなたは昔の 陳腐なファシスト
総理になる夢 はじめての挑戦
けれどあなたが 選挙に勝ったなら
黙って自民へ 立ち戻るあなた
いつかあなたを 叩きつぶすまでは
あたしの旅は 終りのない旅

希望という名の 新党たずねて
今日もあてなく また人が来る
細野に若狭 前原までも
明日はどんな 党になるやら?
あなたのうわさは 良いことだらけ
見知らぬ誰かも 擦り寄るだけ
いつもあなたの 名を呼びながら
あたしの旅は 容赦のない旅

希望という名の あなたを潰しに
寒い夜更けに また汽車にのる
憎しみが あたしの道連れ
となりの席に あなたがいれば
微笑むその顔 諸共暴露する
希望という名の あなたのその嘘
そうよあなたを 葬り去るために
あたしの旅は いままた始まる

現代の"人生幸朗"を目指すパギやんが、日々の喜怒哀楽を綴ります。嬉しい出会いあり、怒髪天をつく「怒」あり…【詐欺国ニッポン】を旅しながら、今日も今日とて《反・否・非・不~》なのであります。

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