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オリンピックはファシストとレイスストどもの狂宴、返上させるしかない。しかし、残念ながらその思想的基盤は極めて脆弱である…。

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松本英志 2016年12月13日02時13分 編集・削除

1940年、1964年、そして2020年の東京オリンピックとは一続きのものか?

戦争で中止となってしまった1940年の東京オリンピック。

そして、1964年に「開催できた」東京オリンピックとは、内には敗戦で打ちひしがれた「日本国民の国民的高揚」を再び促し、外には敗戦国となった日本の復興を大々的にアピールするものだった、と言えるだろう。

新幹線、高速道路に象徴される「高度経済成長」で復権した、いわゆる「経済大国日本」なるものを内外にアピールするまさにその象徴(シンボル)として、1964年東京オリンピックなるものは開催されたのである。

ところがその後、バブル経済の崩壊を先駆けとして「経済大国日本の低迷」が始まり、それに続く阪神大震災、さらにはそれを上回る東日本大震災とそれに連動した福島第一原発の大事故という未曾有の災厄に喘ぐこととなりながら、その出口すら見出せないでいる絶望的な現状を、一億集団幻想に逃避させることに拠って覆い隠すための「巨大なる舞台装置」「幻想楼閣の大劇場」として、2020年東京オリンピックなるものが画策されている、と観ることができるだろう。

この集団幻想プロジェクトの基本構図は、まさに「原発なくして日本の電力なし」という50年間、日本国民を騙し続けてきた「原発幻想」の構図と軌を一にしており、その実態は国民の目から巨額の利権に塗れた事の真相を覆い隠しつつ、その裏側では官界・財界・政界が一体となって巨大利権の分配に群がる、という醜悪なる構図である。

原発なる集団麻薬の効き目を失いつつある権力は、東京オリンピックというより効用の期待できる集団麻薬に切り替えることで、その無能無策ぶりが引き起こす破綻の隠蔽に躍起となっているのである。

原発とオリンピックなるものが、共に庶民大衆を欺く情報操作とその裏で進行する巨大利権の分配劇、という共通基盤の上に成り立っていることを庶民大衆自身が感知できないのならば、民が主役の民主政治など「俺々詐欺」同様の猿芝居に踊らされる茶番でしかないのである。

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