金くれな、働かん。
全国学校労働者交流集会に参加。会場のサンプラザシーズンズの端正で清楚な佇まいとは正反対の、いや、その無意味な豪華とは逆説的に凄まじい「学校現場」「教育工場」の実相が浮かび上がる。その中にあって、今日もしなやかに、ねちっこく、さわやかに闘い続ける「学校労働者」たち…教員、先生、教師、公務員などという言辞の「嘘・虚・詐」が浮かび上がる。管理教育の本家・愛知で、思索と交流のバトルが深夜まで続いた。
Diary
全国学校労働者交流集会に参加。会場のサンプラザシーズンズの端正で清楚な佇まいとは正反対の、いや、その無意味な豪華とは逆説的に凄まじい「学校現場」「教育工場」の実相が浮かび上がる。その中にあって、今日もしなやかに、ねちっこく、さわやかに闘い続ける「学校労働者」たち…教員、先生、教師、公務員などという言辞の「嘘・虚・詐」が浮かび上がる。管理教育の本家・愛知で、思索と交流のバトルが深夜まで続いた。


カフェ・スローに超満席のお客様!「旧盆の歌遊び[アシビ]」で、思いっきり歌って踊って・飲んで食べて…ご先祖様も喜んでくれたことと存じます。Slow is beauiful. … 嗚呼、何故そうならないか…。

移設なった新大久保の文化センター・アリランでライヴ&トーク。狭い会場に溢れんばかりのお客様…あっと言う間の2時間でした。CD爆売!お馴染みの顔、懐かしい顔、初めてのお顔…心より感謝いたいます。「アリラン」のさらなる発展・拡充・飛躍を臨んでやません。またいつでも来まっせ~、"マサコゥ~"(→解る人にだけわかる…/笑)。
夜、川崎の酒幕にて密会。来年は「日立就職差別裁判」勝利から37年、何事かなさむ。
新幹線で名古屋、中央線に乗り換えて「中津川」まで、約2時間の旅。常磐座で笠木透と雑花塾『CD文庫』(第二弾)の録音、僕は「風のアリラン」をお手伝いした。途中、雨と雷の音に中断を余儀なくされながらもなんとか予定録りに収録終了、フォークソングの歴史に、小さな1ページが開かれたような気分です。就寝前に、屋台風の焼き鳥屋で密会--ご老体は実にお元気でした。
USJの開園と「阪神なんば線」の開通などで「乗換駅」として脚光を浴び、周辺の再開発がすすむ「大阪環状線・西九条」駅だが、ガード下の飲み屋「トンネル横町」の佇まいが「モダンな町」への変貌に抗っている。
駅のスグ南、安治川岸壁にへばり付く奇妙な建造物が『安治川トンネル』である。此花区側からエレベーターで隧道まで降りて、河底を歩いて渡って対岸へ出ると、そこは「西区・九条」。九条新道商店街が続き、そのまま大正区の大阪ドームまで歩いてゆける。戦前のある時期までは、ここが大阪の中心地だった。市庁と府庁、川口の外国人居留地と後の中華街、松島新地、等々がかつて存在した。いまは、「源兵衛渡」の地名が往時の雰囲気を伝えるのみ。河の歴史はそのまま、大阪の歴史なのである。


伊丹空港から高知空港まで、あっと言う間の45分--水平飛行はしてまへんな。プロペラ機の揺れが飛行機らしくて心地よいのだ。今日も猛暑…500人の前でライヴ&トーク。「数字ファシズムごっっこ」と「グーチョキパーの歌」が大いに受けました!主催者の皆さん、中野勇人さん、有難うございました!

地下鉄・千日前線「西長堀」駅の北側が「鰹座橋」交差点、西側すぐに「土佐稲荷神社」がある。この神社を含む一帯は、東側の「マンモスアパート(1)」や「西区民センター・こども文化センター」も含めて、土佐藩の大阪蔵屋敷だった。神社北側の「長堀通」は「長堀川」を埋め立てた道路で、長堀は1622(元和8)年に開削された運河。この開削工事が完工するのとほぼ同時期に土佐藩は蔵屋敷を建て、長堀川の両岸で土佐の特産物である鰹・和紙・材木などを商って大坂の町に運び、全国に流通させて莫大な利益を得るようになった。蔵屋敷の脇に架かる橋は「鰹座橋(土佐殿橋)」と呼ばれ、また、土佐の商人達が集まる「土佐座」が近かったことから「土佐堀川」の名称も生まれた。事ほど左様に、土佐藩は「天下の台所」大坂で、その存在の大きさを誇ったのである。「土佐稲荷神社」は、土佐藩経済の守護神として創建され、1717(享保2)年に本格的な社殿造営が行われて蔵屋敷の鎮守社となり、一般にも開放された。
時代は下って、幕末から明治維新。坂本龍馬暗殺後、海援隊の後を継ぐ形で、1870(明治3)年に「九十九商会」が発足、翌年、個人事業体となって岩崎弥太郎の所有となる。同時に、土佐藩屋敷も岩崎に譲渡され、土佐稲荷神社は九十九商会に引き継がれた。実は、当時藩邸は、鴻池など豪商の抵当に入っていて、九十九商会が借金返済を肩代わりした上で、藩邸の払下げを受けたのが真相だが…。境内には「岩崎家旧邸址」の石碑もある。
九十九商会は1873(明治6)年に「三菱商会」と改称され、今日の「三菱グループ」へと繋がっていく。土佐稲荷神社こそ「三菱グループ発祥の地」なだ。神社の紋は「純金の三菱スリーダイヤ」で、玉垣には三菱グループの名前しかない。毎年四月の初めに、三菱グループ各社の代表が集まり、三菱の発展を願う祈祷祭が行なわれている。なお、「堺事件(2)」の際に「二〇人切腹のくじ引き」が行われたのも、此処。財閥・政商・コンツェルン…資本と神社の密月時代が一四〇年も続いているなんて、ほんま、大阪らしおまんなぁ。
(1)1957(昭和32)年、旧日本住宅公団(現住宅都市整備公団)が建設した西長堀アパートの俗称。「西区のマンモス」とよばれて市民から長く愛された。入居者には、作家の司馬遼太郎や南海ホークスの野村克也など著名人も多く、話題になった。
(2)1868(慶応4)年、フランス領事たちが堺へと入ろうとして、土佐藩兵とフランス海軍の兵士との間で起こった事件。事件後の切腹で、藩士達が自分の腸引きちぎってフランス兵士たちに投げつけたというエピソードは有名。顛末は、森鴎外『堺事件』に詳しい。
現代の"人生幸朗"を目指すパギやんが、日々の喜怒哀楽を綴ります。嬉しい出会いあり、怒髪天をつく「怒」あり…【詐欺国ニッポン】を旅しながら、今日も今日とて《反・否・非・不~》なのであります。