日々の喜怒哀楽を綴ります。

粉浜商店街へ

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「たかだ歯科」へ通って、もう20年は経つだろうか。同院のある「粉浜商店街」は、大阪で奇跡的に残った「まっとうな商店街」の一つだ。道幅がせまく、いつも活気があって、周囲に大型店舗はない。八百屋、魚屋、肉屋、菓子匠、乾物屋、服屋、食堂、薬局、電気屋、昆布屋、時計屋、小間物屋、履物屋、お惣菜屋、帽子屋、喫茶店、天麩羅屋…小商いの老舗が軒を連ねて、住吉公園まで約600メートル並ぶ。老夫婦が切り盛りする「実城豆腐店」も、そのうちの一軒。
僕は小さい頃、「揚げさん(薄揚げ)」や「厚揚げ」のクズをよく買いに行かされた。油の通りがきつすぎたり、ムラがあったりしたものは商品として出せないので、只同然で売っていた。「パンの耳」みたいなもんだ(この「だ」は大阪弁の「だ」)。でも、今は機械で揚げてるから、クズは出ないのだろうな。おからも御馳走だった--。朝の「豆腐屋の湯気と匂い」、ほんわかして嬉しいものだ(この「だ」は共通語の「だ」)。

10月23日朝に詠む

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☆民主主義 選挙で斃死 涙雨☆

要するに、何も変わっていないということ。社民党は「沖縄社民党」に鞍替えした方がいいし、共産党の「激減」は野党共闘のなんたるかを徹底して総括すべき事を物語っている。結局、小池・前原の策略が功を奏したじゃないか。立憲民主が野党第一党…何も響かない、なんたる軽さよ。辻元清美のほくそ笑みが、闇に不気味なだけだ。言わずもがな、「あらゆる歴史は階級闘争の歴史である」(マルクス)、つまり、選挙に勝つ為の努力が足りなかったのではなく、日々の階級闘争を放棄し、連合などと言う御用組合をのさばらし、沖縄・福島の「犠牲のシステム」(高橋哲哉)にのっかてきた罰(バチ)が「選挙に負けた」という結果なのである。
服部良一さん、その陣営(つまり、俺の同志・仲間)の皆さん!俺は「無理だ、無駄だ。選挙に出ること自体が誤りだ」と何度言ったことか。非国民の俺でさえ判ることが、ニホンコクミンのあなた達には、何時になったら判るのだろうか?あなた方に、杉並で立候補した中核派を笑う資格はないぞ。大阪の状況は「選挙」云々ではない--そこまで、我々大阪の左翼が貶められ、弱体化し、不甲斐ない存在に成り下がったことを、何故先ず総括しないのだ?
さて、科学とは一種の予見であって、選挙に勝つか勝てないか、科学的分析に基づいてある程度の予見と展望の元に行動が決定されることは言うまでもない。そこに「情熱」や「正義」や「良心」、はたまた、希望的観測など無用で、むしろ有害だ。ただし「負ける覚悟で出る」という啓蒙戦略もあり。しかし、今回、各地の野党統一候補は「必勝」でなければならなかったはずだろう。で、この為体だ。己が寄って立つ情勢分析も出来てなかった、つまり「非科学的であった」ということだ。俺が、立憲民主の「熱気」はシールズやファシズム政党のそれと同一だと言うのは、この三者に共通する「主観主義」=反科学性ゆえである。ましてや、社民党が沖縄以外で勝利するなど、どこをどう「主観的に」分析してもありうるわけがないではないか。村山政権の総括もせず、「自さ社」連立などと言う無様を演じきった者どもがファシズムと闘う??冗談も休み休み言ってほしい。
「選挙に出ない」という闘い方もある訳で、俺らのような「選挙権を剥奪された」者たちは、ずっとそう闘わざるを得なかったし、事実、そうしてきた。「一票か社会を変える」というブルジョア原則(=幻想)にズブズブに陥った報いがファシズムと戦争への道だった…ドイツの経験を持ち出すまでもなく、いま、この国で起こっていることは、まさにそれじゃないか。
今日はここまで…共産批判については、またの機会に。
さぁ、今日から(も)地獄を生きようかね(笑)。殺されてたまるか!!

【島 和博さんの投稿】
この国の「選挙」では必然的に貧乏人が自民・公明・維新・希望に投票する(投票させる)。やつらを自分たちの「代表」として認めてしまう(認めさせる)。それが「選挙」という(イデオロギー)装置の機能である。このことはとっくの昔にマルクスが指摘していたことだ。「選挙」はいわば「民意」を捏造する装置なのだ。だから、このような「選挙」によって貧乏人の「民意」が表出されることは決してありえない。もしもそういうことが起きるとすれば、それは「選挙」という装置に終止符を打つための「最後の選挙」においてのみだろう。
歴史上、「選挙」が到達した最高の地点はおそらくチリのアジェンデ「社会主義」政権だと思うのだが、しかし、この社会主義へと到達した「選挙」を可能にしたのは労働と生活の現場における「民衆の闘い」であったのであり、「選挙」はその「最後の」総仕上げ(確認作業)に過ぎなかった(これはグスマンの「チリの闘い」の第三部を観るとよくわかる)。この闘いの中でこそ民衆(貧乏人)の「本当の」民意が形成されるのであって、このような闘い抜きにアプリオリに民意などというものがあるのではない。
だから「民衆の闘い」が存在しない(組織化されていない)この国では「選挙」によって「民意」がやすやすと捏造されてしまうのだ(もちろんこの国でも沖縄のように苦しい闘いの結果としての民意が選挙の結果に現れている「例外」もあるが)。メディアや「風」によって捏造される「民意」に何の意味があるというのだ。だから、枝野新党(CDP)の「躍進」に最後の「希望」を見出している(らしい)自称「リベラル」の諸君もまた決定的に誤っている。CDPもまた闘い抜きの「民意」をアテにしているのであり、しかし、そんなものは虚妄にすぎない。「民衆の闘い」(の組織化)抜きの「民意」とは、ジジェク風にいえば、カフェイン抜きのコーヒーやアルコール抜きのビールと同様に、浮遊する「ミドル」のPC的な妄想・幻想にすぎない。左翼が目指すべきは常に民衆の闘いの組織化であり、それを通じての「本当の」民意(階級意識)の形成である。そして、そのような「本当の」民意に支えられた「最後の選挙」をこそ目指すべきなのだ。
このような宛先不明のメッセージ(戯言)に何の意味があるのだと徒労感を覚えつつも、それほど長くはないはずの残りの人生、僕もまた「地獄を生き」る覚悟はできているし、誰に遠慮はいるものか、「教条的な」罵詈雑言を吐き続けようと思っている。

【神田CH事情①】

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1)10月19日
 ホテルに電話するも、斉藤隆一郎支配人は留守。
 私に電話するよう要請、それを電話口の職員に伝言。

2)10月20日13:00ごろ、私の携帯に斉藤氏から電話。
 趙「先日お送りした質問状への回答期日が過ぎていますが」
 斉「いろいろ検討したのですが、まだお返事いたしておりま
  せん」
 趙「文書で回答する気はありますか」
 斉「お送りしても、趙様にご納得いただけるとは思えませ
  ん」
 趙「じゃ、送らないのですね。つまり、私の質問には答え
  ないと解釈していいのですね」
 斉「はい、申し訳ございません」
 趙「この電話で、あなたの意向はよく解りました。
  私は私の行動に移ります」
 斉「申し訳ございません」

3)同日15:00ごろ、金龍介弁護士と通話。
 この間、やり取りした文書のコピーをメールで送付。
 訴訟に向けて、10月27日に台東協同法律事務所で会う約束。

呪殺!

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呪い殺すのは無罪(笑)。

非国民のぼやき…

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日本国有権者の皆様、ホンマにええんでっか?
よう、考えておくなはれや!

下村敦史『闇に香る嘘』

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下村敦史『闇に香る嘘』を一気に読んだ。物語が頭の中を何度も何度も、何事かに逡巡するかのように回転し、その展開を反芻した。本作品の下敷きには「中国残留孤児問題」がある。そして「全盲」が作品全体の終始一貫を覆う。下村敦史が描いた障害者像は『白の闇』(ジョゼ・サラマーゴ/1998年ノーベル文学賞)から抽出され、かつ綿密に洗練された印象を受けた。「常闇」に生きざるを得なくなった主人公の<言動・思考・苦悩・葛藤>の逐一が読者に憑依してきて、そしてそれが「謎解き」の因果に繋がっていくのだ。下村自身が視覚障害者か?と訝ったほどで、その取材力は<常軌を逸する>との過言を以て絶賛する以外ない。
昔、白土三平『カムイ伝』の惹句に「ストーリーは小説を越え、ビジュアルは映画を越えた」という秀逸があったが、それに擬えて、『闇に香る嘘』の「構想力は『三たびの海峡』(帚木蓬生)を越え、歴史性は『エトロフ発緊急電』(佐々木 譲)を凌ぎ、説得力は『テロリストのパラソル』(伊藤伊織)に勝とも劣らず、結末の意外性は『砂の器』(松本清張)を遥かに凌駕し、そして、筆力は『李歐』(高村薫)に肉薄している」と記しておこう。

三ヶ月ぶりの「三水会」

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長らくご無沙汰してしまいました…。
今日は、少数精鋭4人のお客様でした!
常連のPさん、初顔のTさんとSさん、
そして、懐かしいK君は8年ぶりの再会かしら--。
二次会は「喜楽」で「千代香(じょか)」を嗜みました。
十三はエエとこだっせ(笑)。

室蘭民報

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載りましてん。
大阪じゃ見向きもされません(笑)。

現代の"人生幸朗"を目指すパギやんが、日々の喜怒哀楽を綴ります。嬉しい出会いあり、怒髪天をつく「怒」あり…【詐欺国ニッポン】を旅しながら、今日も今日とて《反・否・非・不~》なのであります。

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